おせち作り

おせちは、もはやどこでも手軽に買える時代となりましたが、私は作るところから楽しみたいので、毎年手作りしています。自分で作れば、薄味にするなど自分好みの味付けにもできますし、好きなものはちゃっかり多めに作ったりできる(!)という利点もあります。

(そもそもおせちの濃い味付けは、冷蔵庫がない時代に三が日の間、常温で料理を保存するためだったわけですから、もう薄味でもよさそうな??)

 

私が毎年作るのはお雑煮、お汁粉、紅白なます、昆布巻、伊達巻、黒豆、栗きんとん、煮物(煮しめではなく、ここは簡単に炒りどりで)です。

あとのものは多少入れ替わりや新しいものがあったりして、今年は奉書かぶ(蕪にゆず皮の細切りを載せて巻き、昆布で縛って巻物に見立てた甘酢漬け)と、アーモンドスライス入りの田作り(サクサクでナッツがよく合い、田作りのイメージが変わります)などが加わりました。

 

我が家のお雑煮は東京地方に多い、小松菜と鶏肉入りのすまし汁仕立てで、庭で採れたユズの皮を散らします。(庭で採れたと思うとお料理が2割り増しくらい美味しく感じられます!)

年によっては、なると、セリ、ミツバなどをいれることも。お餅は関東らしく四角いものを使います。

一方で、私は京都風のお雑煮、つまり丸餅入りの白みそ仕立てのものも好きなので、数年前からは両方を少しずつ作り、二つの味を楽しんでいます♪ちなみに京都では「やきもちを焼かないように」と、お餅は焼かずに煮て使うそう。

 

お雑煮はお椀に、昆布巻などは重箱に。盛り方や詰め方にはまだまだ修業が足らず(しかもお雑煮はつい急いで適当に注いでしまったり)、一番美しい見せ方とはとても言えませんが、それでも漆器はやはりこうした料理を入れるのがいっとう映えるものだなと、つくづく思います。もちろん、ふだんのお味噌汁や素朴な豚汁なども似合うのですが、お吸い物を入れたときの凛と引きしまった佇まいには思わず見惚れてしまいます。

また、京都ではお雑煮を入れるお椀は男性が赤、女性が黒と決まっていて、大きさも年齢によって変わるのだとか。武家や大きな商家などに限った風習かもしれませんが、もしかしたらそんな風習が今も守られているところがあるかもしれないと考えると、なにか感慨深いものがあります。

 

京都と言えば。2枚目の写真、鏡餅の手前に並んだふたつの陶器の蓋物は、去年、京都の弘法市で見つけました。

左が鶴、右は打ち出の小槌の上にネズミ(大黒様を思わせる組み合わせ)。香合にしてはちょっと大きいですし、そんなに古いものでもないようですが、ちょっと気に入って連れて帰ってきました。ようやく飾れて嬉しいです!

 

3枚目は小さな干支と七福神の飾りです。(鏡があるので斜めにしか撮れず、すみません)

隣に置いた貧乏徳利(昔はしょうゆや酒をこれに量り売りしてもらうものだったそう)に生けたのは庭の蠟梅。

葉は黄色く紅葉しているものの、なんとまだ葉が落ちていません!本来はとっくに落葉しているなのはずですが、年々葉が落ちるのが遅くなっているのが気になります。

葉がきれいなまま生けられて嬉しい反面、気候変動がじわじわと目に見える形になっていく気味の悪さもあって複雑ですが、蠟梅は初めからこうだったかのような顔をして玄関を明るくしてくれています。