きみの鏡がここにあるよ

高校生のころから骨董市に行くようになり、これまでいろいろな掘り出し物を見つけてきましたが、時にはあまりに安すぎて愕然としてしまう掘り出し物もあります。

 

この鏡もそのひとつ。先月の骨董市で見つけたものですが、桁が間違っているのではないかと目を疑うような値札が貼ってありました。縦60センチほどの大きな鏡で、周りにはぐるりとどんぐりの浮彫りが施されています。もちろん、どうみても手仕事です。

鏡を探していたわけでもなく、どんぐりのモチーフが好きだからか、たまたま目にとまっただけでしたが、どうしても気になって店主に話しかけると、私が何か言うか言わないうちに、なんと、さらなる値下げを始めました。ただでさえ信じられない値段なのに、躊躇なく4割引き?

おそるおそる、「あの、なぜそんなにお安く?」と尋ねると、「持って行ってよ。もう、それ持って帰りたくないから」とのこと。

 

骨董市に出店している業者さんたちは、商品を満載した車で関東から東北あたりまで各地の骨董市を回っていて、お店を開くたびに車から荷物を取り出して、ひとつひとつの商品の梱包を解いて並べ、市が終わればまた売れ残りを梱包して積みなおして帰っていきます。なので、嵩張るものや重いもの、なかなか売れないものなども当然あちこち持ち運ぶことになるようで、それがかなり面倒なことらしいのです。たまに同業者どうしで愚痴をこぼしているのを耳にしますし、時には商品に当たりそうなくらいにイライラとして見えることもあります。この店主も、「この鏡をもう一度でもどこかへ運ぶなんて、絶対にごめんだね」、とでも言いたそうな顔をしていました。

でも、だからって果物を買う程度の値段で、こんなに手の込んだ鏡が売られているなんて。鏡の気持ち(鏡に心があるかは知りませんが)や作った人の気持ちを考えると到底その場を空手では去れず、鏡を連れて帰ることに。

”どう考えても、あなたにはそれ以上の価値があるわ!とりあえずここから連れて帰ってあげるからね!”と、心の中で鏡に語り掛けてやりながら、言われた値段を支払いました。

 

帰宅して、改めて鏡を観察してみます。何の木なのかはわかりませんが、やや厚めの一枚板に彫ってあるようです。全体に素朴なカントリー調で、ものすごく高そうだとか精緻な彫刻だというわけではありませんが、やはり素人の趣味の作ではないように見えますし、手慣れた職人の仕事であるのは間違いなさそうです。

木は乾燥しきっていて、ひび割れそうなところもちらほら。でも手入れすれば、まだまだ……よし、見違えるほど綺麗にしてあげよう!

 

さっそくお手入れを開始。まずは布でほこりを拭い、それからオイルを染み込ませた布で磨いていきます。小さなシミなどもオイルが染み込んで地の色が濃くなると、ほとんど目立たなくなってきました。

細かいすき間を磨くのは手間ですが、手をかけるほどに愛着もわいてきます。乾燥していた木を保湿するように、葉の一枚一枚、実のひと粒ひと粒を丁寧に磨いていくと艶が出てきて、鏡が喜ぶのが伝わってくるような気さえしてきました。

 

磨きながら思い出していたのは、谷山浩子の『きみの時計がここにあるよ』という歌です。

ある夜、机の上に置かれた時計の文字盤を見ているうちに、『この天使の図案を 描いた誰かが どこかにいる』ということにふと気づいたという歌詞でした。年齢も性別もわからぬ誰かを、『どんな顔をしてるの どんな声で笑うの』と想像し、そのひとがもしも今、淋しい夜を過ごしていても自分は何もしてあげられないけれど……と思いを馳せて、

『僕はただ伝えたい 夜空こえて届けたい

きみの時計がここにあるよ きみの天使がここにいるよ

きみの時計がここにあるよ きみの天使が僕は好きだよ』

というフレーズで終わるのです。

 

作品を見て作者のことを考えることはよくあることですが、直接会うかファンレターを書ける相手でもない限り、ふつうはなかなかその作品が好きだと作者に伝えられはしません。

でも、『世界中の誰とも つながっていないように 思える時』に、誰かが『きみの天使が僕は好きだよ』と思っていてくれるなら、それだけで救いになるだろうな、と考えてしまいます。

もちろん実際に伝わるわけではないとわかってはいても、素敵な想像だと思うのです。

 

この鏡を磨いている間も、考えるのはやっぱり作った人のこと。どんな人が、いつごろ作ったんだろう。売るために作ったのか、贈り物だったのかは知らないものの、丁寧に心を込めて作っているのはわかります。

そして、この鏡の来歴も考えずにはいられません。どんなひとがこの鏡を使っていたのだろう。どんな部屋に飾られていたのだろう。何人も持ち主は変わったのか。引っ越しで、あるいは亡くなってから手放されたのだろうか……。

過去は何もわかりませんが、この鏡は不当に安く売られていたところに通りかかった私と出会い、磨かれながらだんだんと私とも親しくなり、たぶんこれからも永く大切にされることとなったのだ、と思うと少し不思議な感じがします。縁は異なもの味なもの。

 

骨董市で所在なさげに立てかけられていた姿からは想像できないほど、鏡はすっかり綺麗になりました。

壁にかけてみると、「ずうっと前からここに飾られていたの」とでも言いそうなくらい、すました顔で部屋に馴染んでいました。

 

私はどこかにいるかもしれないし、もう亡くなっているかもしれない、鏡を作ったひとに心の中で語りかけてみました。

  きみの鏡がここにあるよ きみのどんぐりが私は好きだよ

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コメント: 1
  • #1

    ボッコちゃん (水曜日, 08 12月 2021 10:09)

    物を買う時、職人の技術とか判断の基準になるし自分がその物が好きかどうかで決める事はしますがその人がどんな気持ちで作ったか、までは思いを馳せる事はありません。物を制作する人は違った観点があるんだなと思いました。骨董市では高価な着物やお茶道具などが悲しいほど安く放出されています。断捨離をしている身としてはそれらを救済する事は出来ませんけど。ある作家が「お金のある人は高価な着物などどんどん買ってください。それを作っている職人さんを支えてすばらしい技術を途絶えさせない為にです」と言っていました。納得ですがそういう身分ではありませんでした。骨董市見るだけでも楽しいね。