稲刈り

遅くなりましたが、稲の話をもう少し。

 

天気が心配されていましたが、稲刈りの当日は晴れました。この日も外部からの参加者がたくさん来てくださって、子供たちもいてにぎやかな声がしていました。子供たちの手には虫捕り網や虫かごが握られています。あとで「虫捕り大会」が行われるのだそうです。

 

田んぼに着くと、すでに隣の空き地には天日干し用の竿が渡してありました。スペースの都合なのか、2段になった骨組みが2~3メートル四方の小部屋を作るように組まれています。全体では10メートル四方ほどになるでしょうか。かなり迫力があります。こんな大がかりな作業を、きっとどなたかが前日までにやっておいて下さったのでしょう。心の中でお礼を言いました。

 

初めに、「のこぎり鎌」という鎌の使い方と、刈った稲の束ね方を農家の方に教えてもらいます。「のこぎり鎌」というだけあって、ギザギザした刃がついています。「ほかの刃物と違って、これで切ると傷がきれいに治らないんだよ。気をつけないと」と怖い顔を作っておっしゃるのを聞きながら、「そうそう、のこぎりの傷って跡が残るのよね」と内心うなずきます。これはたしかに気をつけないと。

 

教えてくださった方は稲作のベテランで、わかりやすいように一応ゆっくりした動作でやっているおつもりのようでしたが、それでもつい早くなってしまい、「は、早すぎる!」「もっとゆっくり!」「そこ!その藁を通すところをもう一回!」などとワイワイ言われて、しぶしぶやり直してくれました。刈って束ねる実演を終えても、口頭で説明しながら手は止まらず、どんどん稲の束を作っています。こちらに向かってしゃべりながらも、せっせと手は稲を刈り、ざっと束ねて積み上げていきます。まるで手が勝手に動いているようです。しかもだんだんスピードアップして、流れるような動きになってきていています。体が覚えているのでしょう。さすがは農家さん!

「このままじゃ、みんながやるとこがなくなっちゃうよ」と誰かが言ってみんなが笑い、レクチャーはおしまいになりました。

 

それから稲を刈って束ねる人と束ねた稲を竿に干していく人とに分かれて、作業開始。子供たちは親と一緒に鎌を持ち、ケガに気をつけながら慎重に稲を刈っていましたが、すぐに飽きて虫捕りを始める子も。

私は鎌が足りなそうなので、束を干す方に回りました。初めは刈る方もゆっくりだったので、干す方は暇があり、こちらから束を回収しに行きました。持ってきた束は、二つに開いて竿にかけてはギュッと押してスペースを詰め、また次の束をかけていきます。上の段は2メートル近い高さなので、ビールケースを踏み台にして干しました。だんだんと刈る人たちのペースが速くなってくると、干す方が間に合わなくなってきたので、束も持ってきて近くに積み上げてもらい、せっせと干す作業に集中します。

あたりは稲のにおいでいっぱいです。刈りたての稲の束は黄緑と黄土色が混ざったような色合いで、においも「藁のにおい」というには、まだ少し青さがのこりますが、香ばしいような懐かしいようないいにおいです。イグサとはまた違う懐かしさを覚えます。

 

……そういえば、昔のヨーロッパでも藁を厚く敷いた上に布をかけたベッドがあったけど、寝心地はどうだったのだろう。ちくちくしないようにきれいに並べてもあまり気持ちがいいとは言えなさそうだけど、少なくとも香りはよかったのでは。

香りと言えば、部屋の臭い消しや香りづけにラベンダーやローズマリーなどの香草を床に撒いたりもしていたんだっけ。日本のように木の床や畳に素足でなく、家の中でも土足だからできたことでしょうね。

当時の床はやっぱり木より石の方が多かったのかな?土足でいいなら、家によっては土間もあったかもしれない。

ハーブは生で使ったのか、ドライだったのか。あとの掃除も楽だし、ドライの方がいいかも。でも乾燥しているから、生で撒いても、ほどなくドライになったかもしれない。

石の床に撒かれたハーブが、歩き回る家族や使用人の靴の底で砕けていいにおいをさせている光景が浮かんでくる。人がよく通るところは、ラベンダーの枝葉も、もう粉々になっていて。灰色の石の継ぎ目には人知れず、灰緑色の粉が溜まっていて、.............

 

「次の、ここに置いとくねー」という声にはっとし、「はーい、ありがとうございます」と答えながら、空想からこちらに戻ってきます。おっと、危ない危ない。

手はちゃんと動いて、てきぱきと束を干しているし、一束一束の状態をチェックして微調整までできているのだから、この作業にもそれなりに頭は使っているはず。なのに別の次元ではまったく別の光景に浸っていられるのだから、人間の脳とは不思議なものです。さすがに空想を続けたまま受け答えはできないので、臨機応変にこちらへも戻ってこなければなりませんが。

そういえば、単純作業をするときにちょっとした空想をしている人はたくさんいるでしょうが、ほかの方々はどんな空想をしているのでしょう。話題にのぼらないのでわかりませんが。

 

………いや、待てよ?たくさんいると勝手に思っていたけれども、聞いて回ったわけではないし、本当はどうなのかしら?そもそも話題にならないのは、空想とは個人的なものだからだとおもっていたけれど……もしかして、空想する人なんてほとんどいないとか?まさか!………

 

そうやってまた、一人のときには空想をはさみ、熱中症にならぬように休憩も取りながら、作業を進めます。大人たちがせっせと作業をする傍らで、子供たちは稲を刈られて逃げ惑うイナゴやバッタを追いかけます。イナゴやバッタあるところに必ずカマキリあり。近くのあぜに逃げ込もうとするカマキリも子供たちに追い回されています。虫に飽きて、カエルを探す子もいます。

やがて、虫かごを手に子供たちが集合。虫かごの中にはイナゴだろうがカマキリだろうが関係なく数十匹の虫がぎゅう詰めになっています。カマキリが捕食する様子を見たいのに見られないと不満そうな子もいましたが、カマキリもいくら捕食対象がそばにいるからって、駆け回る子供とともにジャカジャカと揺れる透明な密室の中でものを食べる気になるわけがありません。カマキリもバッタも哀れで、子供たちの虫かごに駆け寄って片っ端から開け放ちたくなりますが、そうもできず、「もうちょっとの辛抱だから、頑張って耐えて!」という気持ちを込めて見つめます。

虫かごの虫たちは一匹ずつ数えられ、一番多くとったグループが賞品としてかき氷を大盛りにしてもらっていました。「えー、賞品って物じゃないのー?」などとぼやいていた子たちも、けっこうあっさりと切り替えて、「おれ、ラムネ味ー!」「カルピスー!」と大騒ぎ。ちなみに採った虫はまた田んぼに放されました。ケガがないといいのですが。

大人たちもかき氷を食べながらひと休み。何年振りかにイチゴ味のかき氷を食べて、懐かしくなりました。さすがに子供の用に色づいた舌を見せ合ったりはしませんが、たぶん私の舌も真っ赤になっていたことでしょう。

 

休憩の後も少し作業をして、ようやくこの日の分を干し終えました。2段になった竿にいっぱいの稲の束が干されているのは壮観です。田んぼは刈られてこざっぱりとし、朝見た時よりも広く見えました。風が吹くたびに少し青い藁のにおいがあたりに流れていきます。湿度があって、作業をしていると暑いくらいでしたし、藁のくずを体中にかぶってしまいましたが、達成感はあります。

最後に、田んぼの周りに立てていたカカシをはずして、みんなで運びました。カカシも風雨にさらされ、だいぶくたびれていましたが、今度は干した稲を守るためにもうひと頑張りしてもらうのです。スズメたちはたくさん落ちている落穂を無駄なく食べてくれるでしょう。「でも干してある方は、カカシに免じてそのままにしておいてね!」と念じておきました。美味しいお米になりますように!

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コメント: 3
  • #1

    凹太 (日曜日, 22 10月 2017 12:14)

    稲刈りは疲れるけど達成感がありとても楽しかったです。稲刈り跡のにおいもいいですね。天日干しだとおいしいといいます。楽しみですね。ところでこちらでも調査のため稲刈りをしましたが、一年中日本の真夏と同様なので大汗をかきました。皆でビール、ビールと大声で注文して飲んだあのビールがとてもおいしかったです。

  • #2

    ボッコちゃん (日曜日, 22 10月 2017 22:46)

    干したばかりの稲穂はまだ葉が緑なんだと写真を見てわかりました。カマキリが日記を書いていたならこの日の散々だった様子を読んでみたいと思いました。

  • #3

    Nana (日曜日, 17 12月 2017 21:07)

    凹太さん: 私は青草のにおいはちょっと苦手ですが、もう少し乾いたあとの藁のにおいは大好きです。畳ともまた違うけれど、香ばしくてなんともいえない豊かな香りですよね。 ん、ビール?その発想はなかったな。気分としてはきりっと辛いジンジャーエールがいいな。

    ボッコちゃん: 「カマキリが日記を書いていたなら」の下りに思わず大笑いしてしまいました。か、かまきりの日記!?あるなら私も読みたいです。きっとこんなふう。

    10月×日 はれ
    今日はせっかく朝からよく晴れていい日になりそうだったのに、とんでもなかった。いやに人間が集まってくるなと思っていたら、あれよあれよという間にすごくたくさんやってきて、おれたちがくつろいでいる田んぼにまでズカズカふみこんで、いねをどんどん刈ってきやがった。ねらっていたイナゴを追うどころか、おれたちまで追い回される始末。人間の子どもなんてのは、道をいくのを遠くからながめているだけならいいが、ぎゃあぎゃあとさわぎながら虫とり網とかいうのをぶん回して追いかけてくるとなると、話はべつだ。悪夢としか思えない。
    しかもやつらは捕まえたおれたちを無理やりせまいかごに入れていく。イナゴだろうがバッタだろうが、おれたちの同胞だろうがおかまいなしに、うじゃうじゃと詰め込んで大喜びしてやがる。食うつもりもなさそうだし、なにを考えているんだか、さっぱりわかんねえ。しかもそのまままた駆け回るから、かごの中はめちゃくちゃで、おれたちは気が気じゃない。この地獄がいつまで続くのかと気が遠くなりかけたころ、なんとあいつらときたら数を競っていただけだとかで、一位だとか二位だとか決めたあとでおれたちを解放した。あいつらは感謝してもらえるとでも思っていたかもしれねえが、そんな気になどなりゃしない。そのころにはズタボロになっていたおれたちは、よろめきながらもただひたすらにあいつらから離れたい一心で足を動かして逃げた。ああ、ほんとうにとんだ一日だった。寿命が縮んだぜ。