長崎への旅 終わり

今回久々に旅に出てわかったのは、旅が自分にとっていかに必要なものであったか、ということかもしれません。

人によっていろいろなストレスの発散方法があるので、もしかしたら旅を全く必要としない人もいるのかもしれませんが、少なくとも私には非常に重要なものである、ということがわかりました。

 

知らない土地を歩き回り、地理や土地の情報を頭に入れつつ、逆に普段使っている頭の中のどこかは回路を切り離し、空っぽにしていく。誰でもないひとりの旅人にすぎない者になって見知らぬ街をうろつき、その土地のものを食べ、方言を聞き、その土地のペースで生活する。美術館や資料館をめぐったり、ただ風景をぼーっと眺めたりするだけでいい。

 

そうすると、だんだん自分がほどけて、頭が空っぽになってくる。そして、なぜか少し離れたところから自分を見られるようになる。「私は」「私が」「いつもは」から離れた視点でものを見て、感じることができる。難しく考えることに疲れた時でも、ただ”感じるだけ”の自分であることができるようになる。

 

……そんなことを感じました。

たぶん、旅をしたいときというのは、日常から脱したいときばかりでなく、たぶん自分から脱してもう一度自分を発見しなおしたいとき、なのではないでしょうか。

迷子になりに行き、自分でその迷子を見つけて戻ってくるまでが旅なのかもしれません。

 

今回も、思う存分異邦人になって、リフレッシュして帰ってきました。これでしばらくはまた頑張れそうです。

でも、友人が一人でフランスを旅してくる予定だと聞いたことも刺激になり、またどこかへ旅に出たい気持ちになっています。さて、次はどこに行こう。

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コメント: 3
  • #1

    ボッコちゃん (水曜日, 12 4月 2017 22:04)

    マチュピチュなどいかがでしょうか。ご一緒に。

  • #2

    凹太 (日曜日, 30 4月 2017 11:21)

    どこへ行こうかと考えるのも楽しいですよね。そこで何をしようか、何をたべたいとか。いつも帰り道、旅行のことを思い出しながら自分も次の旅行を計画しています。そしてそれが元気の元だったりする気がするのです。

  • #3

    Nana (月曜日, 28 8月 2017 00:56)

    ボッコちゃん>> マチュピチュ!いいですね。ロマンがありますよ、ロマンが・・・!行けるといいなあ。
    凹太さん>> 遠く離れた地を旅することを考えていると、目の前のことでいっぱいになりすぎず、心に余裕が出ますよね。私は実際に旅に出られないときは、本の世界をあれこれ想像して短い旅をしたりもしています。だから現代日本社会を舞台にした日常的な小説などは全く読む気がせず、海外や過去を舞台にしたものばかりになります。