長崎への旅(3)

さて、ちょっと中断をはさんでしまいましたが、長崎の旅を続けることにします。

 

長崎は海にも面していますが、他の部分は山に囲まれていて、高台から見下ろすとよくわかりますが、街がすり鉢状に広がっています。その底の方にお店や会社などが集中し、山あいには住宅がびっしり。

数日間、ひとつの街の中をいろんな時間に歩き回っていると、だんだんと人の流れや街の時間の流れ方などがわかってきます。長崎ではすり鉢の斜面あたりに住む人々が出勤や通学時間になると駅や会社のあるすり鉢の中心部に集まってくるようです。そして、それぞれの行き先へと向かって人々は行きかい、また夕方から夜になるとそれぞれ家路をさして帰ってゆきます。

そういう人の大きな流れがあるせいでしょう、町の中心地にはいくつも活気のある商店街がありました。昼間や夕方の買い物客の人出はもちろんですが、雨降りの日でもアーケードを通れば傘いらずですし、普段から通勤・通学に利用している人も多そうでした。

 

地元の人が行きかう中を、旅人の気分で歩いたり、地元民になりきって歩いたりするのは、楽しいものです。

“市場へ行く人の波に 体を預け 石だたみの街角を ゆらゆらとさまよう……”

頭の中で久保田早紀の『異邦人』の歌詞が浮かびます。歌詞は、”祈りの声 ひづめの音”・・・と続き、どこの国とも知れぬ(却ってそれがいいのでしょう)異国情緒たっぷり。あの歌詞を東京に居ながらにして書くとは、素晴らしいセンスだと思います。

 

商店街を“ゆらゆらと”さまよっていると、いろいろと発見があります。昔ながらの老舗がどっしりとした年代物の看板を掲げているかと思えば、若者向けのお店もあり、道行く人も老若男女さまざまです。商店街というと、さびれてしまってシャッターが下りている店も多く、客も年配の方ばかりになってしまっているような悲しいイメージでしたが、それは単に自分がそういう商店街しか知らないからだったのでしょう。まだこういう活気のある商店街も残っていたのかと驚きました。そういえば、初めて仙台に行ったときにも商店街がきちんと機能していて驚いた気がしますが、長崎はそれよりさらに活気のある様子でしたし、老舗も残しながらもお洒落な新しいお店やちょっと変わったお店もあって、世代交代もしくは世代の共存がうまくいっているという印象でした。

私の好きな児童文学作家が長崎のご出身なのですが、小説の中に活気のある商店街がよく出てくるのが不思議でした。でも長崎ではこういう商店街が今でも当たり前にあると知り、「彼女がイメージしていたのはこういう商店街だったのね」と、ようやく腑に落ちました。

 

商店街からちょっと外れたあたりにある、大正14年に「モダンボーイ」だった創業者が始め、九州最古だという喫茶店へ行ってみました。名物はミルクセーキというのですが、この店では飲み物ではなく、シャーベットにして出します。グラスから盛り上がるくらいにたっぷりとうす黄色のミルクセーキが盛られ、昔ながらの赤いチェリーが飾られているのがレトロ。冬に食べるには寒そうなのでハーフサイズがないかと訊いたら、そちらは食事した人がデザートとして頼む場合にしか提供していないと言われてしまいました。仕方がないので腹をくくってフルサイズを頼みましたが、なんとか食べ終えたら寒くなってしまい、紅茶を追加で頼むことに。

「これ、おいしいよ。ひとくちあげる」「あ、こっちのもおいしいよ」などという会話がちょっと聞こえてきて、さりげなく隣のテーブルを窺うと、高校生か大学生くらいの女の子が二人で来ていて、美味しそうにハンバーグを食べています。

今回はお昼にはまだ早いからとミルクセーキだけにしてしまったけれど、今度は洋食を食べに来るのもいいかもしれません。それならミルクセーキもハーフサイズで良かったし・・・。

 

紅茶を待ちながらそれとなくあたりを観察。店内の様子は、今でこそまさにレトロといった印象ですが、きっと当時はものすごい斬新で、ここに来ることは最先端の流行に乗ることでもあったのだろうと想像します。卵とミルクとレモンの味がして、少しねっとりとした触感のミルクセーキは、当時どんな驚きをもって迎えられたのでしょうか。

ただ惜しむらくは、紅茶はいまいちだったこと。紅茶を頼む客はほとんどいないのか、注文を取ったかわいい制服を着たウェイトレスが「紅茶、ですか?」とちょっと意外そうに聞き返したときに、少しわるい予感がしたのですが・・・。やはりコーヒーはどこでもわりと安くておいしいものがあるのに、紅茶の美味しいお店というのにはなかなか出会えないもので、紅茶党としては残念なところです。

 

 

駅のそばの観光案内所でもらった街歩きのパンフレットを見ていたら、近くに産女(うぶめ)の伝説が残る井戸の跡があると知り、行ってみました。産女は妊娠中やお産で亡くなった女の幽霊で、墓の中で生まれたらしい赤ん坊を抱いて、夜道を行く人を追いかけたりするとされています。地方によっていろんな民話が残っていて、赤ん坊を抱かされたが朝になったら石になっていたとか、赤ん坊を抱かされたあと怪力になっていたなんていう話もあるようです。

小さな路地をうろうろと行ったり来たりしてみましたが、それらしい立札などは一切見つからず、でも絶対にここだろうと思ったところには石がひとつ(井戸の一部?)あるだけ。なんの説明もないのですが、石の上に塩が盛られていたのでやはりここで合っているのでしょう。塩がなければ通り過ぎてしまうような場所でした。ここの産女はどんな伝説だったのか、ちょっと気になるところです。

 

パンフレットにはもうひとつ、商店街の中に六芒星の描かれたマンホールのふたがあると書かれていました。長崎市のマークは五芒星(一筆書きで書く、一般的な星マーク)で、市内のマンホールのふたにはこの五芒星が描かれているのですが、なぜか一か所だけ六芒星があるというのです。

六芒星は正三角形をふたつ、それぞれを上と下に向けて重ねた形をしています。ダビデの星とも呼ばれ、ユダヤとの関りも強く(イスラエルの国旗にも入っています)、また呪術的な意味もあるマークで、日本でも籠目を表す紋として魔除けに使われたりしたようです。五芒星も一筆で描けることなどから古くから呪術にもよく用いられていたようで、日本では安倍晴明の紋としても知られています。五芒星・六芒星ともに、呪術的なシンボルともされているだけに、なぜ一か所だけマンホールのふたが六芒星なのか気になるところです。

行ってみると、商店街のアーケードの下、何でもない顔をして六芒星のマンホールのふたがありました。これもなんの説明もないので、どうしてここだけ六芒星なのかは謎のまま。マンホールのふたの作り方は存じませんが、きっと型を作って鉄を流して作るのでしょう。型を新しく作らなければならないのでしょうから、ひとつだけちがうデザインにするのは手間ひまがかかるはずだと思うのですが、なんのためにそんなことをしたのでしょう。呪術的意味があるのか、単になにかの冗談なのか???

赤瀬川源平の「トマソン」ではありませんが、街歩きをしているとそんな小さな謎や奇妙なものに目が行くようになってくるようです。

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コメント: 3
  • #1

    ボッコちゃん (火曜日, 31 1月 2017 23:21)

    90年も続いている喫茶店でのんびりコーヒーを飲みたくなりました(私はコーヒー党よ)。何かの本に「街にある喫茶店の数と街の文化には関連性がある」と書いている人がいて自分の町を思ってがっくりした事がありました。マンホールの蓋はこちらでは売れるらしく盗まれて無くなっている事があります。危ないので笹みたいな枝をさしてあるのを見てあきれましたがそんな事も日常茶飯事で驚くこともなくなりました。日本では珍しいマンホールの蓋も写真を撮るだけのようね。知らない町をてくてく歩き見聞した事と今までの知識が一緒になって・・・。旅が自分のものになっていくね。

  • #2

    凹太 (月曜日, 06 2月 2017 07:56)

    古い喫茶店に入って、きょろきょろと中を見て、落ち着いた雰囲気とおいしい飲み物にうれしいひと時を過ごすのは至福の時ですね。残念ながら紅茶はご期待に沿えなかったようですが。
    日本ではマンホールの蓋は多彩です。カラーもありますし、市によってそれぞれ工夫していますし、大学も独自のを使っています。いつかそれらをコレクションしてみたいと思っています。もちろん本物ではなく写真で。

  • #3

    nana (日曜日, 19 3月 2017 20:36)

    ボッコちゃん: その街の喫茶店の数と文化はたしかに関係がありそうですね。それにしてもなんでこのあたりはこんなに喫茶店が少ないのでしょうか。おかげでうちでしのぐしかなく、紅茶がよりどりみどりですけれど。とほほ。
    旅をすると知識が増えますが、同時に謎も新たにでてきて、ああもっと学ばないと!という心地よい焦りを覚えます。

    凹太さん:古い喫茶店にはロマンがありますよね。神保町あたりでお気に入りの一軒を見つけたいと思っているのですが、つい古本屋を回るだけで時間を使い切ってしまって、探索できずにいます。
    マンホールのふたを集めた写真集、たしか路上観察学会のメンバーが出しています。日本編と世界編があった気がします。きっと日本人だからお行儀よく写真だけ「撮った」のね。