長崎への旅(2)

長崎で楽しみにしていたもののひとつは洋館めぐりです。長崎は鎖国の時代から西洋との窓口になっていた歴史があり、西洋の影響をいち早く受けて、洋館もたくさん建てられました。市内にはそういった洋館が多く残されており、また新しい建物でも洋館風の窓をつけたり、小さなファザードが作られているものが目につきます。小さなアパートなのに、わざわざこんな装飾がしてあるなんて、というような場合もありました。でもそのせいでしょうか、町全体がなんとなくほかの街と違い、ちょっとレトロで西洋風の印象になっている気がします。

 

まずはいくつかの洋館をまとめて移築した観光名所、グラバー園に行ってきました。山の上にあるのでエレベーターをふたつ乗り継いで頂上を目指します。ひとつめはなんと、斜めに動くエレベーター!同乗していたのは毎日乗っているような地元の人だったので、無表情で何も感想などなさそうでしたが、初めて乗った私は素知らぬ顔をしつつも内心ではたいそう面白がっておりました。

頂上に着くと、長崎市内が見晴らせて気持ちがよく、かすかに海のにおいがする風が吹きあがってきました。おお、さすが港町。

 

グラバー園にはグラバー邸(グラバーはスコットランド出身の貿易商)のほか、リンガー邸(リンガーはイングランド出身の貿易商。長崎ちゃんぽんのお店『リンガーハット』は、リンガー氏にちなんだ名なのだとか)など、9つほどの洋館があります。それぞれ建てられた時代や様式が異なる洋館を、まとめて見学することができます。

グラバー邸は日本最古の木造洋風建築だそうですが、窓や壁は洋風なものの、平屋で日本製の瓦屋根という外観。洋風にしたくても建材や技術がそろわなかったのでしょうが、日本の職人が依頼に目を回しながら試行錯誤する様子が見えるようです。沖縄の家ともまた違うのですが、どこか南国の島の家のような雰囲気があります。庭にブーゲンビリアやデイゴの花が咲いているせいもあるかもしれません。関東では冬越しを目論む雑草がわずかに緑を残しているぐらいなのに、長崎ではまだ熱帯植物の花が咲いているのですから驚きです。

 

幕末・明治期になると、噴水やゆったりしたポーチを備えた、石造りの邸宅なども建てられるようになってきて、私たちのイメージする『洋館』に近づいてきます。それでもどこか日本的なところが残っているのは不思議ですが。

とはいえ、外観はどこか和風の建物でも、一歩中に入ればすっかり西洋風の内装が広がっています。厚いじゅうたんが敷かれた部屋には美しいタイル張りの暖炉があり、重厚なオークのディナーテーブルや応接セットが置かれていました。大きくとられた窓には重たげなカーテンレールが取り付けられ、床まで届く長いカーテンがかかっています。まだ珍しかったであろうガラスのランプ、イニシャル入りの食器に銀のカトラリー・・・。

このころ長崎に来ていた外国人たちは布教や貿易の傍ら、教育や技術の分野でも時代を先取り、日本の近代化に大きく貢献していたそうです。きっとこうした邸宅にも、日本でできた友人・商談相手・要人から、新しいもの好きの幕末の志士まで、さまざまな人が出入りしていたことでしょう。彼らはいったいどんな顔で招かれた邸宅のドアをくぐったのでしょうか。言われるままにおそるおそる下足のまま進み、慣れない大きなソファに緊張して浅く腰かけながら、目だけは部屋中を走らせている…・・・そんな様子を想像してしまいます。失礼にならないようにと思いながらも、きっとこらえきれずに興味津々できょろきょろとあたりを観察したのではないでしょうか。

 

園内には他にも、日本最古のテニスコートの跡として整地用のローラーが置かれていたり、フリーメイソンのマークが入った柱があったり。長崎には、『日本初』と付くものが本当に多いようです。

日本人初の西洋料理人が開いたレストラン『自由亭』もここに移築されていました。こじんまりした石造りの建物はすっきりしつつも雰囲気が良く、今は喫茶室になっている2階でひと休みすることに。天井は高く、シンプルな幾何学模様のステンドグラスの窓には長いレースのカーテンがかけられ、窓の外のレンガ造りの教会らしき建物を眺めながら紅茶を飲んでいると、「ここはいったいどこの国?」という気分になります。アンティークらしいテーブルや椅子は日本人に合わせてか、少し小さめに作られているようでしたが。

持ち歩いているクロッキー帳にペンでこっそりと室内の様子をスケッチしたりもしました。喫茶店などでこうしたスケッチをするのは楽しいものです。こう凝った内装だと少し時間はかかってしまいますが、それもまた良し。壁に掛けられたライトなどもついでにスケッチ。

私はセイロンティーとアップルパイを頼みましたが、カステラとコーヒーのセットを頼むお客が多いようでした。長崎気分を味わうにはそれも良かったかもしれません。でも、この街は気に入ってしまったので、また来そうな気がします。そのときはカステラにしましょうか。

 

なぜか長崎くんち(お祭り)の山車などが展示してある施設を抜けて、グラバー園の外へ向かいます。迫力満点の張りぼてがたくさんありましたが、大人数で操るらしい白い竜が特に気になりました。動いているところも見てみたくなります。

坂を下り、大浦天主堂へ。現存する日本最古の教会建築(1865年落成)で、禁教令のもとで見せしめにされた26人の殉教者(のちに聖人になった)に捧げられているそうです。そしてここではもうひとつ歴史的な出来事がありました。1639年の鎖国以来、日本にはもうキリスト教徒はいないと思われていたのですが、隠れキリシタンたちが見物客に交じって神父の下にやってきて耳元で信仰を打ち明けたのです。7世代、250年にわたり、隠れて信仰し続けてきた人々がいたという『信徒発見』の報はすぐにバチカンに伝わり、ヨーロッパ中を驚かせたといいます。

本来ならば漆喰の白と窓枠の青色のコントラストが美しい教会なのですが、ちょうど塗装が古びて黒ずんでしまっていて、パンフレット通りの白亜の教会ではありませんでした。それでもゴシック様式と大きなステンドグラスが目を引きます。白と青はまさに聖母をイメージさせる色ですが、建物の前にも真っ白なマリア像があります。マリア像は教会外観の清楚で端正な印象に合わせて作られたかのように同じ印象を抱かせます。美しくて綺麗なのに、清らかすぎて近寄りがたく、大理石の冷たさを先に意識させてしまうようなところがあるかもしれませんが。ちなみに教会の中にあるマリア像はもっと親しみやすく温かみのある像でした。

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コメント: 3
  • #1

    ボッコちゃん (水曜日, 04 1月 2017 01:11)

    長崎は行った事がありません。帰ったら行こうと思う場所の一つです。隠れキリシタンの話からも思うに信仰とは何ぞやと日々考えます。ここはスペインの植民地だったのでどんな田舎に行っても立派な教会があり、その前が広場で横に役所があり、町の中心になっています。熱心なクリスチャンが多く、祈りとともに生きている事を肌で感じます。でもラテン気質(笑)。この国に住まなかったら信仰の事も考えなかったかも知れません。とても貧しい人が多いのに自分は幸せだと感じている人の割合は世界のトップクラスなのだそうです。信仰と関係があるのかどうかわかりません。多くを語るには知識が無さすぎで汗。

  • #2

    凹太 (月曜日, 09 1月 2017 01:34)

    歴史のある所は素敵ですね。少しでも歴史を知っていると、色々と空想出来て楽しいでしょう。医者としてきたシーボルトはオランダ語が日本人の通訳よりなまっていて、オランダの高地から来たからと言い訳したとか。オランダの高地?と吹き出しそうになる言い訳です。そのころ日本人が彼らから医学、科学等を学んでいたのですが、かなり真剣であったようです。いつも思うのですが、発展途上国にはいまだそのままである理由があるのです。日本はその時は発展していない国であったかもしれませんが、探求心、向上心で国を変えていったのだと思います。外から見ていると本当にすごい国で自信を持っていいです。

  • #3

    nana (日曜日, 19 3月 2017 20:59)

    ボッコちゃん: 日本の「天に恥じないように」とか「お天道様が見ている」という感覚も、もはや溶け込みすぎて形のなくなった信仰のひとつではあると思いますが、大半の人がこれという宗教を持たないまま平気で暮らしていて、そのわりに秩序が守られているというのは本当に妙な国だと思います。私もそれ以上語れるほどは宗教を知らないのですけれども;

    凹太さん: オランダの高地?それは笑える冗談ですね。当時の日本人は疑わなかったかもしれませんが。
    上野の科学博物館で昔の天球儀や地震計、時計、顕微鏡などを展示してある部屋があるのですが、見ていると外国から伝わったものをどうしたらより日本でも使いやすくできるのかを一生懸命工夫したりしていたのが感じられます。そしてその頭に技術がついてくるところもまたすごいものだと思います。よくもあの時代にこれほどのものを、と感心しきりでした。