函館への旅 ~洋館めぐり~

函館には明治から昭和に建てられたという洋館が点在し、歴史を感じさせる街並みとなっています。

普通の住宅にも1階は日本的で、2階は西洋的な設計になった和洋折衷の建築があり、とても興味深いです。せっかくこの街に来ているのだから、主要な建築は見たいと思い、洋館めぐりをすることにしました。


赤レンガ倉庫群のあたりから出発。函館にはいくつも景色のよい坂がありますが、美しく紅葉し、赤い実をたわわに実らせているナナカマドの街路樹に惹かれて選んだ坂を上りました。植込みにはまだ鮮やかな紫色をした紫陽花が。涼しいところだと花も永くもつようですが、まさかこの時期まで!薄緑とむらさきが複雑に混ざった色合いがとても綺麗で、手折ってドライフラワーにしてみたい誘惑に駆られそうです。


坂の途中に、カトリック元町教会がありました。少々唐突な印象の、ゴシック様式らしい建物です。

中に入ってすぐの壁に埋め込まれたガラス絵は、絵具がひどく剥がれ、めくれあがっているのですが、ルオーの作品のように見えます。でも何の解説もないので、ルオー風に誰かが描いたものなのでしょうか。それとも本当にルオー???

聖堂は凝ったつくりをしていて、奥にはローマ法王から贈られたという大きな祭壇があり、聖堂内の壁にはキリストが十字架を背負わされてゴルゴダの丘へと向かう様子が描かれていました。(撮影禁止なので写真はありません)


カトリック元町教会のすぐ近くにはまだ別の教会、ハリストス正教会があります。こちらはロシア正教の流れをくみ、禁教令下にここでひそかに洗礼を受けた日本人の信者が日本正教会の礎を築いていくことになったのだそうです。

建物はロシアとビザンチンの影響を受けているそう。たしかに玉ねぎのようなドームはロシア建築を思わせます。漆喰塗りの壁に緑色の屋根、明快な形が新鮮でした。中の聖堂は、同じ正教会だけあって神田・ニコライ堂を思わせる装飾ですが、ニコライ堂ほど金ぴかではなく木彫りの装飾が目立ち、落ち着いた印象です。

それにしても、同じキリスト教といえ、宗派によってここまで建築や内部の装飾が違うとは面白い!宗派の考え方や価値観によって、見合った建物の外観や内装が選ばれていくことを思うとたいへん興味深いです。


住宅街に溶け込んでいる和洋折衷様式の古い家を見つけながら歩き、旧函館区公会堂へ。ブルーグレーとクリームイエローという変わった配色が目を引く、木造2階建ての洋館で、函館港を見下ろすように建っています。様式はコロニアル。正面にはギリシャの神殿を思わせる柱が立っていますが、細かい装飾などにはどこか和風の趣があります。

中にはいくつもの貴賓室があり、皇族の方が泊まられたというお部屋もありましたが、豪華な調度品の中、パイプでできたベッドだけが浮いて見えます。当時はパイプのベッドは珍しく貴重だったのだそうですが。

2階へと上がる階段もまた美しい。私は古くて美しい階段が好きで、なぜか夢にもよく登場します。そのうちこの階段もでてくるでしょうか……。

2階には大広間があり、ときどきここでコンサートが開かれているそう。この日ももう数時間前に来れば聴くことができたらしく、とても残念でした。壁も床も艶やかな木で覆われ、大きなシャンデリアが下げられたこの優雅な空間で、室内楽など聴いたらどんな心地でしょう。想像しただけでため息がでそうです。

この広間にはバルコニーがついていて、出てみると函館の町と港が正面に見下ろせました。いい眺めでしたが、ここで突然カメラの調子が悪くなり、写真が撮れませんでした。なんてこと!


気を取り直して、近くの旧イギリス領事館へ。開港の歴史を紹介するコーナーがありました。函館の人々が外国船の就航にどんなに驚き、外国人たちの身なりや文化の違いに目を丸くしたかが伝わり、面白かったです。制服の金ボタンをねだってゆずってもらったり、飲んでいるワインを血だと思って怖がったり。そのうちに洋装を仕立てられる人が出てきて洋装が流行りだし、建築や食生活でも洋風化が進んだとの由。


旧領事館内にはティールームもあり、ここでアフタヌーンティーとしゃれ込むことにしました。

アンティークの家具が並べられたティールームで、窓辺の席を選びます。

紅茶はキーマン茶にしました。小さなポット(たぶんイギリスならこの倍量)にお茶が入っていて、砂時計もついてきます。この砂が落ち切ったら飲み頃。このキーマン茶は思ったほどくせがなくすっきりしていましたが、なかなか薫り高くて気に入りました。もっと量があれば、なお良しですが。

2段になったスタンドの下段に小さなサンドイッチ、上段には小さなクッキー、小さなチョコチップ入りのケーキ、小さなタルト。他に小皿に乗った小さなスコーンがひとつ。

……『小さな』と何度も書いてしまいましたが、まさにそんな様子なのでした。うーん、イギリスならお菓子ももっと量がありそうですが、日本人に合わせて少なくしているのでしょうか?スコーンにクロテッドクリームがついていないのも気になります!

でも美味しかったし、丁寧に作られているようでした。そしてなにより、ツタの絡まる窓枠から、古い建物らしくすこし歪んだガラス越しに街を見ながらお茶が飲めるのが、とても優雅な気分。ゆっくりとお茶を飲みながら、この気持ちを共有できそうな人へと何通か、ハガキに便りをしたためました。


日暮れの街へ出て、外国人墓地へと歩きだします。墓地には関係者以外入れませんし、とくに見るべきものがある場所ではないのですが、ここは隠れた夕日スポットだとなにかで読みました。しかしあいにく海にはもやがかかっていて、夕日はあまり見えませんでした。

墓地の隣に、海に張り出すように立っているカフェがありましたが、お茶を飲んできたばかりなので入りませんでした。

でも家に帰ってきてから読んだミステリが、偶然ながら函館を舞台にしており、なんとこのカフェが出てきました!夕日を眺める客のために日没まで営業し、ロシアンティーを置いている店だと書いてあり、「ロシアンティー?あのとき行っておけばよかった!」と後悔した次第。


薄暗くなってきたけれどまだ空に赤みが残っている、そんな中を路面電車の駅に向かって歩きます。向こうから来る人の顔はかなり近づくまで見えず、まさしくこれが『黄昏時』(たそがれどき。「誰そ彼」という言葉から)。どこかからふっと出てくる猫もなんだか不気味で、人の言葉でも話しそうに見えます。黄昏時は『逢魔が時』(魔物に出くわす時)とも言うんだっけ、と自分を怖がらせて面白がりながら坂を下り、路面電車の終点駅『函館どつく前』へ。

帰宅時間と重なりましたが、運よく空いていた席に腰を下ろし、明るい車内でごとごとと揺られていると、どこかの異世界のあわいから人の世界に戻ってきたようで、さみしいようなほっとするような気持ちになりました。旅をしているときに感じるこういう瞬間が私は結構好きで、そんなもののために旅をしているのかもしれないという気になることがあります。

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コメント: 3
  • #1

    凹太 (木曜日, 12 11月 2015 08:57)

    古い建物はなんだかいいですよね。特に洋館には惹かれます。どこに行っても公開している古い建物があると立ち寄りたくなります。弘前と函館の洋館はちょっと感じが似ているような気がします。こんなところに少し住んで見たいなと感じませんでしたか。
    アジサイが紫が残って枯れているのは寒い地方では時々みられます。それに気が付くとはさすがです。とある花好きの人がたまらなくなって、北国の公園のアジサイを一枝いただき、水の入っていない花瓶に挿して玄関に飾り、密かに喜んでいたのを知っています。

  • #2

    ボッコちゃん (日曜日, 15 11月 2015 07:20)

    はい、葉書を受け取りました。細かなイラスト付き解説でこちらも優雅な気分を味わいました。ありがとう。だいぶ前に出してくれたと思われる葉書と一緒に3通まとめて届きました。早くて10日遅くて1か月以上。この国の郵便事情はどうなっているのでしょう???夕暮れ時は寂しそうという歌があったけど特に旅行をしているとそんな気持ちになる時が私もあります。ウキウキした気持ちやしんみりした気持ちを味わって家路に着くとやっぱり家はいいなあと感じる自分がいます。

  • #3

    nana (水曜日, 06 1月 2016 01:40)

    凹太さん:もちろん住んでみたいと思いましたとも!壁・床・天井が木でできた広いホールで、ヴァイオリンを弾いたらどんな心地がするかと思うし、毎日この美しい階段を上り下りできたらどんなに優雅かしら、と。
    紫陽花は自分でドライフラワーにしても綺麗な色が残らないので、いつも悔しい思いをしています。北国のものなら綺麗にできそうですね。
    ボッコちゃん:子供のころからいつも別世界への入り口を探しているようなところがあるので、霧の中や夕暮れの街をさまようのは好きです。さんざん歩き回ってから、街の気配や季節のにおい、夕焼けの残滓のようなものをまとって帰宅してときでさえ、家はさりげなくも「よく帰ったな」と迎えてくれる感じがしていいものです。