気ままに街歩き~佐倉~

先日、仕事で千葉市まで足を伸ばしました。そのまま帰るのはもったいないので、帰りに佐倉で下車し、街を散策することに。


最近、ちょっとでも道がわからなくなると、ぱっとスマートフォンを取り出して地図を表示させたり、目的地まで案内させたりしている人を良く見かけます。たしかに便利だと思いますが、なんだか私の性には合わなそうです。(こういう「新しもの嫌い」を英語で「ラッダイト」と呼ぶのだとか)

そんなわけで、私は、あらかじめ見ておいた地図から大体の方向だけを割り出して歩いたり、標識や道に掲示された地図をたよりにして街を歩くのが好きです。よほど急いでいる時以外は、迷うのも楽しいし、回り道をしてみるのもいいものです。時には遠回りしたおかげでいいお店を見つけることもありますし。


佐倉でも前日に見ていた地図の情報と、道端の標識をたよりに、てくてくと歩き出しました。JR佐倉駅から大体北西の方角へ。佐倉は城下町。今も武家屋敷が残る地域があり、そのうちの3軒を公開しているというので、行ってみました。

平屋で、茅葺きの屋根と土の壁。土間と畳の座敷があり、湯殿もついています。生活道具も少し展示されていますが、ほとんどが木か竹で出来ていて、陶器は食器だけ、金属は武具、鏡、お釜、引き出しの取っ手くらいにしか使われていません。プラスティックがないのは当然ですが、ここまで自然素材ばかりに囲まれた素朴な生活ぶりというのはなんだか新鮮です。道具ひとつひとつも、素朴ながら手が込んでいて、作りのしっかりしたものばかり。


家の周りにはぐるりと庭があり、ちょうど菊が満開です。道に面した方は、高く土が盛られた上に生垣があり、馬上からでも覗かれないようになっているのだとか。また庭の植え込みも良く見ると、ツツジなどとともに、お茶の木も使われています。この葉を摘んで緑茶などを作っていたのでしょう。そういえば、静岡でも本格的に輸出用のお茶の栽培が始まるまでは、お茶は庭先に植えて自分の家の分だけ作るものだったと何かで読みました。

こういうところに来て、いつも面白いと思うのは、西洋の庭と違って、日本の庭はきれいに掃き清められているということ。木が植えてあっても、根元を残してその周りの地面はすっかり箒で清められているのです。神道では万物に神が宿るという考えがありますが、神は清められたところに降りてくるとされており、家やその周りを常に清めておくことには、今の衛生観念とはかけ離れた、重要な意味合いがあったといいます。


武家屋敷を後にし、また歩き出します。古くは『延喜式』にも記述があり、旧佐倉藩の総鎮守でもあった麻賀多(まかた)神社が見えてきました。平日の夕方なのに、七五三の装いをした子供達やその家族がつぎつぎとやってきます。社務所にはお守りを買いに来た受験生らしい集団も。

境内には福福しい恵比寿様の石像があり、なでるとご利益があるとか。歯を見せて上機嫌そうに笑っていらっしゃる恵比寿様のお顔と、ついでに左手に抱えている鯛もなでておきました。

小さな稲荷社もあり、台の上には奉納された小さなお稲荷さんでいっぱい。こちらもお参りしました。

ふと久々におみくじでも引いてみようかという気になり、社務所に行くと、恵比寿様にあやかって、張子の鯛におみくじが差し込んであるのを売っていたので、それを求めました。普通、おみくじだけで100円なのに、張子がついていて300円とは安すぎる気がします。

さて、鯛からおみくじを引き抜いてみると……おお見事、大吉!

ただ、おかしいのは『待ち人』の欄で、『来る つれがある』と書かれているではありませんか!

一体、『つれ』とは何なのか。鴨がネギしょってくる、とか?まさか二人来ちゃうとか?いやいや、人とは限るまい、犬を連れているとか?ああ、『つれ』とは何ぞや!

と、色々と想像して、楽しませてもらいました。


本当は国立歴史民俗博物館にも行きたかったのですが、展示を全部みる時間はなさそうだったので、付属の植物園だけにしました。ここは染料・食料・薬用など、人々の暮らしに関係した植物だけにテーマを絞った、小さな植物園です。今はちょうど、前から行ってみたかった古典菊の展示もしていました。


江戸時代には大名も庶民も関係なく、園芸が大流行しました。変わったもの、珍しいものがもてはやされ、さまざまな植物がものすごい勢いで品種改良されては、時にとんでもない値段で取引されました。菊もそうやって栽培が流行した花のひとつで、当時生まれた系統を持つ菊(もっと古いものも含めて)は、現在一般的なものと区別して『古典菊』と呼ばれています。

小さな企画ながら、花びらが糸状になって垂れ下がる伊勢菊、咲き進むうちにだんだんとねじれて玉状になる江戸菊など、普段見かけることのないさまざまな菊が見ることができ、興味深かったです。

この植物園ではほかに朝顔や撫子などの古典植物の企画もしているので、そちらも一度見てみたいものです。


冬に向かって日が短くなってきました。うす暗くなってきたので、そろそろ京成佐倉駅に向かうことに。今では公園になっている城跡を、秋の風景を楽しみながら歩いて行きます。骨董市で話した店主夫妻が椎の実を炒ったものを一粒くれて、電子レンジで簡単に炒るやり方を教えてくれたのを思い出し、椎の実を少し拾ったりしながら歩いていると、「姥が池」という池があり、そばに謂れが書かれた立札がありました。

なんでも、姥(うば)がお守りをしていた家老の娘が池に落ちて沈んでしまい、責任を感じた姥も入水したのだとか。事故だったのでしょうし、現代なら「なにも、姥が後を追わなくてもいいのに」と言われそうですが、今とは価値観の違う世のこと。それに、姥とはいえ家老の娘を世話させるのなら武家の女性だったのかもしれません。

今では、人をふたりも飲み込んだとは思えない静かな水面に、枯れかかった睡蓮が浮くばかり。


少ししんみりしながら夕暮れの街を歩き、駅に着きました。これにて街歩きはおしまい。

前から思っていましたが、やっぱり私は城下町の雰囲気が好きなようです。もっといろんな地方のいろんな城下町を歩き回ってみたくなります。

拾った椎の実は、教えてもらった通り、はぜても平気なように封筒に入れて電子レンジにかけ(ギンナンと同じ方法ですね)、割って食べました。渋みはなく、甘みの少ない栗のようで、市販されてもいいような味。なかなかでした。

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コメント: 3
  • #1

    ボッコちゃん (月曜日, 08 12月 2014 22:13)

    超方向音痴なので、初めて行く所などは、地図でしっかり確認して、ふらふらしないで帰って来ます。ほとんど子供のお使い状態なのが情けない。気ままに歩いて戻ってこられるのはうらやましいです。

  • #2

    凹太 (日曜日, 28 12月 2014 09:55)

    初冬の静かな午後を思いだしました。近くにも見逃しているいいところがあるものですね。椎の実は生で食べたことがあります。確かにおいしいですが、木が大きい割りにたくさん取れないものです。

  • #3

    nana (木曜日, 01 1月 2015 23:29)

    ボッコちゃん≫
    「子供のお使い」に笑ってしまいました。でも私もときどき方向を間違える事がありますよ。道が曲がっていたりすると、いつの間にか変な方へ行ってしまったりもします。まだ修業が足らないようです。
    凹太さん≫
    昔飼っていたリスが、どんぐりよりも椎の実の方を喜んで食べていたのを思い出します。初めてあげた時から椎の実には大喜びだったので、「本能に刷り込まれてるのかな?」と思ったのを覚えています。