朝顔

何週間も雨が降らず、雨を待ち望んでいましたが、やっと降ってくれました。葉がしおれかけていた杏や梅の木もすみずみまで潤って元気いっぱい。雑草まで元気になってしまったのは、まあ仕方がありません。

いつもは雨水をタンクに溜めて毎夕の水やりに使うのですが、ずっと空になっていたそのタンクも新鮮な(?)雨水でいっぱいで、嬉しいです。

水が潤沢にある、というだけでなんだか豊かな気分になるのは不思議なことです。でもしばらく続いた日照りのせいで、水のありがたみが身に染みたから余計にそう感じるのかもしれません。

雨水のタンクが空になってしまってから、ふと思いついて台所にバケツを置いてみました。野菜を洗った水や、布巾をゆすいだ水など、洗剤が入っておらず庭に撒けるような水を集めることにしたのです。すると、一日でバケツ4~5杯にもなり、びっくり。これだけの使える水をむざむざ下水に流してしまっていたのかと思いました。また、河川汚染の第一の原因が米のとぎ汁であるとも聞いたので、とぎ汁も庭に撒くことにしました。乾ききった土が、ぐんぐん水を吸っていくのを見ると、『いいこと』をした気にもなれてちょっと楽しいです。

 

さて、ここで新作をご紹介。最近納品した日本画です。写真では青っぽく見えますが、濃い紫色の朝顔です。薄緑色の背景で、涼しげにさわやかに仕上げてみました。

 

日本画家の画集などを見ていますと、日本画作品では花を様式化したりデフォルメしたりしているものが多く、アサガオも花の形が円状にまで省略されていることがしばしば。しかしデッサンでは、花は植物画に近いほどの精度で描かれています。

つまり、本当は写実的に描ききれるほどのデッサン力があるけれども、あえて様式化しているわけです。そのことを考える時、日本と西洋の絵の目指すところの違い、美意識の違いに悩まずにはいられなくなります。

 

恩田陸の小説『蒲公英草紙』にも、西洋画を学んだ者と日本画を学んだ者とが、ひとりの少女の肖像画を描くという場面があります。西洋的手法で描かれた絵では、少女がまるでそこにいるように描かれ、周りの人をうならせます。しかし日本画では、姿はたしかに少女に似ているけれど墨の線でさらりと描かれているだけ。

批評を求められた少女は、”どちらもすばらしいが、比べがたい”と述べます。”西洋画のほうは今この時の私の姿を捉えているが、日本画のほうは私の過去も未来も含めた、もっと長い時間の流れを描いている気がする。” “きっと根本的に求めているものが違うのだろう。だから表現も変わってくるのではないか”と。

 

私は植物の線を追いかけて行くのが好きで、また植物の持つ線や形の美しさを信じているから、やはりデッサンだけでなく日本画のほうでもそこにこだわります。でも植物画を描くときのような写実を目指してはいないし、日本画らしいやり方で何かを引き算したりすることもあります。

現代日本画においては、もはや西洋的か日本画的かという垣根はありませんが、日本画が伝統的に表わしてきた永遠性や美の理想というものは確かな説得力を持って存在します。それをもっと学びたい、そして私の描く絵と伝統的な美意識の中に自分なりの交点を見つけてみたい、と最近考えるようになりました。

…生きているうちに見つかればいいのですがね。

 

「40・50代で中堅と言われはじめ、60・70代で脂がのって来たねと言われ、おおっこれからどうなるかね!ってあたりで死んじゃうんだよね。画家なんてそんなもんだよ」という教授の言葉を思い出してしまいます。

ちなみに。やはり大成するのには時間がかかるためでしょう、多摩美の教授の定年は70歳です。

 

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コメント: 3
  • #1

    ボッコちゃん (金曜日, 15 8月 2014 22:26)

    油絵が好きな私ですが、朝顔の絵をみて日本画もいいなと思いました。40、50はハナタレ小僧(失礼)という画家の世界だそうですがゴッホが長生きしてたら
    どんな絵を描いたのでしょうか。生きているうちに認められていたら違う人生だったと思ったりします。大成したと言うのか日本画の大御所のかたの最近の作品、みんな似ているなぁ~と感じるのは私だけ?(外野はうるさいね。)チャオ!

  • #2

    凹太 (土曜日, 16 8月 2014 12:33)

    朝顔の絵はいいですね。咲いている時間の短さを感じさせます。自分だけ?写真ではなく実物を見たいものです。これからどんな絵を描きたいか少し見えてきたのでしょうか。簡単に実現できることではないのでしょうが、方向が見えたら試行錯誤と訂正、改訂の繰り返しかもしれません。ぼちぼち、こつこつ、でも遊びながら、楽しんでください。また一つ、いつか見たい絵が増えました。

  • #3

    nana (火曜日, 19 8月 2014 00:23)

    ボッコちゃん:
    油絵が好きな人に、わりに日本画らしい絵を見て「いいな」と思ってもらったというのがなんだか不思議。でも近年の日本画は画材こそ違えど、油絵と同じような表現のものが主流になっていますし……難しいですね。
    私の独断と偏見に寄りますけど、ゴッホは絵を通して自分をさらけ出すタイプの画家だったようですし、絵が否定されることはそのまま彼自身の人格の否定と感じていたのではないかと。認められていさえしたら、あんなに自らを追い詰めなかったろう、と思うと惜しいです。
    大御所の面々の作品が似ている?おおっと!大胆な発言!たしかにそういう一面もありますね。でも似たような中でよく見ると違うものを目指していたりもしますし、また斬新すぎて理解しにくいものに取り組む人もあるのですけれど。しかし考えると、いつだって美術の大きな流れの中ではそういうものなのかもしれませんね。似ている点をつないで「平成の様式」を発見していくのはきっと後世の美術史家たちです。楽しみですね。
    凹太さん:
    咲いている時間の短さ、ですか。そんなものまで感じさせるとは、絵の力ってすごいものだなと、なんだか違うところに感心してしまいます。
    うーん。訂正や改訂というほど理論的にすっきりはっきりとできればいいんですが、なかなか。感覚でつかんでいる部分も多くて、後で「なんでそんなことができたか自分でもわからない」なんてこともよくあります。