着物の怖さ?

今日は、私のひと月に一度のお楽しみ、骨董市の日でした。今回も割といいものが来ているようでしたが、天気予報に反して空は曇りがちで、お客さんのノリはイマイチ。
 
今日は着物をひとつだけ買いました。青灰色の地に、桜や竹の描かれた札を散らしたような、上品な古典柄の着物です。一目でいいなと思い、見ていると、お店の人たちが着物離れについて嘆いている会話が耳に入ってきました。
 
「最近の人はこんなの興味ないし」
「あの着物なんて何度も着てないだろうに、もう手放してるんだから。一度も着てないかもしれないよ。しつけもついてるし」
「もったいない。品がいいのに」
「そうよ、お茶にでも着たらぴったりなのにね」
「でも若い人はもうお茶なんてしないでしょ」
などと嘆きあっています。まだ自分では着付けられないけど、お茶で着られたら素敵だなと思っていた私は、逆に「これをください」と言い出しづらい雰囲気になってしまって困りました。
それでも思い切って、「実は最近お茶を始めたんです」と言って買ったら、とても喜ばれました。
店のおばさんたちと、そしてなぜか通りがかりの着物好きのおばあさんまでが喜びあって、
「(着物が)いいところに行ってくれてよかった」
「ほんと、いい着物がいいところに行って…」
「大事に着てね。…大事に着てね」と言って、しみじみと送り出してくれました。
 
きっとお店の人が売ったのは「着物」だけでなかったし、また私も、込められた思いごと着物を買ったような感じがして、”いいものが手に入って嬉しい”というよりも、むしろ神妙な気持ちになって、店を後にしたのでした。
 
ほかの店でまた着物や端切れを見ていると、「これは裏地にいいかしらね」「あら、この茶色もいいかしらね」と言いながら熱心に掘り出し物を探すおばさんが隣に来ました。
ひとりごとのようですが、私にコメントを求めているような言い方でもあり、ちょっと困惑。
「いいかしらね」って言われても、そもそもこの人がどんな趣味でどんなものを作っているのかも知らないしなぁ、と思っていると、やはり話をしたかったようで、婉曲なアプローチ(?)はやめて、話しかけてきました。着物の端切れを集めて、服を作っているとのことで、今日の掘り出し物を袋から取り出して見せてくれました。。
その生地の気に入った点や、古い布の魅力やそういうものと出会う幸せを語ったあと、「だから、楽しまなきゃね」と言います。この「楽しまなきゃ」は話の途中で何度も出てきて、印象的でした。
 
着物を着物としてちゃんと着るのとは違ったところで、着物の端切れを通して、着物を愛している人がいるのだなと、またもや着物の深さを思い知らされたようでした。
そうしてどんどん深みにはまって、着物を収集し始めて、俗に”着物地獄”と呼ばれるものに陥ってしまうものなのでしょうか。
そこまで考えて「うわ、怖いっ!」と思いつつ、でもそれだけの魅力があることは認めざるを得ないな、とため息をつきました。

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コメント: 2
  • #1

    ボっコちゃん (月曜日, 18 11月 2013 21:53)

    着物に懲りだすと、小物にも目が行って大変な事になりそうです。以前帯止めの素晴らしいコレクションを見て全財産をそれにつぎ込んだ女性の話を読んだ事がありますが、まさに地獄に飛び込んで行く勢いでした。それにしても昔の職人の技は凄いですね。そういう技術がすたれてしまうのが残念です。

  • #2

    nana (金曜日, 22 11月 2013 01:53)

    着物は布一枚でできたシンプルな衣服で、なんて言う人がいますが、襦袢、帯、帯締め、帯留め、草履などなど、凝ればキリがないものですよね。
    ボッコちゃんの書いている、その帯留めコレクション、有名ですよね。でも確かに清水の舞台というより、地獄に飛び込む勢いなのかも。
    しかし、着物や帯どめに限らず、職人技が消えていくのはさびしい限りですね。なんでも安っぽい大量生産品ばかりになって、美しいものが生活から遠くなっていっている気がします。