『風立ちぬ』(※内容に触れます)

先日、宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観てきました。飛行機好きの監督(”ジブリ”というのも飛行機の名前か何かだったような?)は最後の作品も飛行機モノで決めてきました。

 

映画館は音も画面も大きすぎて、苦手な場所の一つ。でも先に見た人の話を聞いて気になり、数年ぶりに行ったのです。家事などを片付けてから最終の回で見たら、お客さんはたった十数人。がらがらの客席にびっくり。本編の前に新作の宣伝が流れていましたが、そのうちのひとつが妙にハイテンションで、どうかしてるんじゃないと思えるほどうるさい。客が大入りなら目立たないだろうけど、こんなに静かだと却って場が白けます。

”日本のコメディーの感覚は安っぽい。ウィットのある笑いは歓迎されないのだろうか”とか、”気持ち悪さをアピールして印象に残ろうだなんて発想が貧困”などと酷評するうちに、呆れや憤りを通り越して、むしろ哀れになる始末。「お願いだからこれ以上この宣伝を流さないで!本編の前に帰りたくなっちゃう!」と叫びたくなったところで、やっと始まりました。

 

舞台は1920年代の日本。震災や戦争、近代化のひずみや貧困など、混乱が多く生きづらい世です。物語の柱は3つ。①”美しい”飛行機を作る夢だけを持って大人になった堀越二郎と、患いつつもひたむきに生きる菜穂子の運命的な出会いと別れ。②二郎が全てを賭けて打ち込んできた飛行機の設計。その”飛行機”というひとつの”夢”が、戦争のために開発される皮肉と矛盾。忍び寄る軍国主義とファシズム。③時を超えて夢の中でだけ会える、イタリア人の設計師カプローニとの対話。

 

物語は二郎の少年時代から。この頃から飛行機のことしか考えておらず、大学生になっても食事中にサバの骨を見てその流線型に何度でも感動し、飛行機の翼に生かせないかを考えているほどです。このシーン、「はぁ?変な奴!」と思うのが普通でしょうが、私は嬉しくなりました。大根の皮をむいたときなど、しばらく光に透かして繊維の美しさに見とれるようなことが私にもあるから、「その気持ち、よくわかるっ!」と。激動の時代に一途な憧れを変わらず抱き続け、いつまでも少年じみている二郎につい感情移入。(カプローニにいつまでも「日本の”少年”」と呼ばれ続けるのも象徴的)

二郎は軍需工場に就職。しかし社内では秀才でも、そもそも日本の飛行機は遅れています。後進として、大国の飛行機に憧れ続ける二郎は、『リリス』の主人公が大鴉に導かれるように、夢の中で設計師カプローニに導かれていきます。カプローニは二郎と同じく飛行機を夢として生きてきた人間ですが、夢の代償なのか、時にちょっと狂気じみた飛行機至上主義(?)をちらつかせます。それでも彼は偉大な先駆者にして、二郎の導き手です。実際、作中の大事なセリフのいくつかが、カプローニの口から語られます。

「凡て汝の手に堪ることは力を尽くしてこれを為せ」

「君のまわりに、まだ風は吹いているか」

 

そして、飛行機のほか何も見ずに来た二郎はある夏、恋におちます。避暑地の恋はひと夏、あるいはもっと短くてカラスウリの花のように(?)儚いものですが、この二人は違います。幸せな数日のあと婚約しますが、菜穂子は結核を患っていました。子供のようにまっすぐなゆえに、危なっかしい二人。菜穂子は療養施設から抜け出してきて、二人は共に暮らし始めます。仕事漬けの二郎と、ほとんど寝たきりの菜穂子は互いを気遣い、辛いながらも精一杯の幸せな日々を送ります。たとえ運命の恋でもどうにもならず、死に別れる日は近いと知っていても、”一日一日をとても大切に生きていく”他にないことが、この世にはあるのでした。

時代はますますきな臭くなり、戦争へとなだれ込んでいきます。その中で、二郎は世界の飛行機史にその名を残す”零戦”を作り上げました。その美しい飛行機は兵器として使われ、ただの一機も戻っては来ませんでした。(それを淡々と語る二郎に、宮崎監督の意図を感じます)菜穂子を失い、夢に挫折した二郎は、飛行機の残骸が無残に転がっている夢の中で、彼を待っていた菜穂子と再会し、それでもまた生きていくことを選ぶのです。

死にゆく者も、残されて生きてゆく者も、死んでも死に切れぬ、生きようにも生き切れぬ、壮絶な苦しみをもって分かたれることがある。それでも「生きて」と言い、「生きねば」と言って、人は生きていく。痛々しくて見るのも辛いですが、それでもなお、その姿は尊いと思いました。

人は傷つきやすく、折れやすい。ひどく打ちのめされたりもする。けれど、そこから立ち上がって歩こう、生きて行こうとすることができる。きっと”人”というものは、本来したたかで熱いものなのでしょう。

 

映画を観終わって、もう少し考えました。カプローニが言った中に、”人の仕事の黄金期はせいぜい10年くらいだから、その間に全力を尽くせ”というようなのがありました。

ふと、私は自分が「飛べる」と思ったのはいつだったかなと考えました。何かつかんだ気がして、「これなら遠くへ飛べる」と思ったとき。それは大学4年目にある絵を描いたときだった気がします。それからどの絵でも全力を出し切って来たかと自問すると、必ずしもそうではないことにも気づきました。

手と目と頭が働き続けてくれる限り、私は老婆になっても絵を描いていたいと思っているけれど、逆に10年しかないと思って全力を注ぐことも必要だったのではないか……。

二郎が部品ひとつまで吟味し、新しい形を模索して、”みにくいあひる”と呼んだ飛行機を作り、さらに改良して「次は”カモ”ぐらいにはなると思います」と言っていたシーンを思い出し、しばし反省。

 

また作中で印象的だったのは、余計なことはみんな馬耳東風、一心不乱に飛行機を作り続ける二郎の姿と、美しい図面。世渡りは下手だし、愛想もない。かといって、決して孤立しているわけでもなく、妙なやつと思われながらも一目置かれています。職人も芸術家も、世界を動かそうとか金と名声を手に入れようだとか妙な欲を持たず、一技術者の感覚を忘れず、少年のように純粋な憧れをひたむきに追っていけたらいいのにと思いました。

宮崎駿監督が町工場のおやじのようなつもりでやっていると語っていたのも、そういうことでしょうか。

 

先日の会見で、長編アニメ作りからの引退を発表した宮崎駿氏ですが、私が一番心を動かれたのは「”この世は生きるに値する”という思いでこれまでやってきた」という下りでした。

生きることに前向きな主人公たちにはこれまでいろいろと励まされてきたし、疲れたときにジブリのアニメを見ると元気になれました。でも、宮崎監督がそこまで確信して、それを作品に織り込んでくれていたとは、知らなかったのです。

色々なことで折り合いが付けられず、厭世的になって生きるのが楽でなかった時期の私に、「宮崎監督はそういう思いで、あなたの好きなジブリの作品を作って来たんだよ」と言ってあげたかった。「この世は生きるに値する、って伝えてくれていたんだって」と。

 

宮崎監督が長編アニメから離れるのはさみしいですが、残してくれた宝物を大事にしていこうと思います。そして今後はジブリ美術館などに積極的に関わるそうなので、そちらのご活躍を楽しみにしたいです。

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コメント: 2
  • #1

    ボッコちゃん (火曜日, 17 9月 2013 07:56)

    不真面目に生きて来た訳ではないけれど、一生懸命生きて来たかと言われればそうでもないので、この文章にコメントを書くのは難しいです。こちらでも宮崎アニメはDVDで出ていて我が家にいらしたお客様の中にはトトロを知っていたりします。監督の思いが自然に受取れて見た人が元気になれるのでしょう。すごい事だと思います。

  • #2

    nana (水曜日, 18 9月 2013 14:12)

    ボッコちゃん:うーん、彼らが一生懸命なのは時代のせいもあるように思いますが…。でもちょっと濃密で、見ていて疲れる感じもありました。社会的でメッセージ性の強い作品を最後に作ったのには意味があると思いますが、結局は「魔女の宅急便」や「耳を澄ませば」の方を私は繰り返し見ることになりそうです。
    そういえば、コロンビアの市場で、トトロの絵が描かれたTシャツや帽子がありましたね。正規品じゃなさそうだったけど!