骨董市の収穫

昨日、月一回、地元で開かれている骨董市に行ってきました。高校生の頃から都合がつけば覗くようにしているのですが、通っているからわかることもあって面白い。

骨董にもいろいろとブームがありますし、またコレクターがコレクションを放出すれば、それが市場に出回るのでそうと知れます。

今回は、50~120センチほどの仏教彫刻の類があちこちのお店に置かれていて、目を引いていました。これもどこかから放出されたものなのでしょうか。阿修羅の模刻などもあります。前回までには見かけなかった品々です。

 

ある店で、雲の上に座って琴を弾いている仏様の木彫がありました。大きな仏像の後ろの壁にかけてあったものだと思われます。そんなに古くもなさそうですが状態もよく、雲の彫り方や作品全体のリラックスした感じも気に入りました。値札は15000円、かなり安い。

 

私は楽器が好きで、楽器を見ると弾いてみたくなるし、売られていると気になるし、絵画・彫刻でも、楽器や、演奏している人物のモチーフに出会うとつい惹かれます。

彫刻でも、仏教彫刻は私のカバー範囲外ですが、この手の雲に乗って楽器を奏でているものは例外的にかなり好きな部類に入るのです。

でもこれを自室に飾ると、"禅に興味がある外国人の、東洋趣味の部屋”みたくなるのが容易に想像できました。それに「美術品だから」「好きだから」というだけで飾るには、あまりに宗教的な存在感。

「とびっきり気に入ったわけではないし、欲を言うなら琴の描写がもっと欲しいし…」などと自分に言い聞かせて今回は諦めました。

 

そして小さな木彫りの馬の置物、皿を立てる木の枠、小さな飾り台を、合わせて800円で購入。今日はこれまでかなと思ったところで、大発見。ビニールシートの上に雑多に置かれたものの中に、古い百人一首、木箱入り!

おそるおそる札を手に取り眺めていると、店主のおじさんが「それ、なんていう札だっけ」と言います。最初、質問の意味が分からず、それから「花札だっけ?」と言われてびっくり。骨董屋さんが百人一首を知らないなんて?!

 

枚数もそろっているようでしたし、印刷とはいえ、絵も字も気に入ったので購入を決意。80~100年くらい経っている品だというのがおじさんの見立てでしたが、状態もまずまずです。

もともと安かったけれど、値段交渉を持ちかけてみると、百人一首をよほどマニアックなものだと思っているらしい口調で、「わかる人に買っていってもらいたいし、若い人だし」と言って3500円から2500円と、大幅に値下げしてくれました。

おお、気前良い…!(でもたしかにわかる人が持っている方がいい品ではあると思うよ、おじさん!)

家にあるのは、ありふれた市販の百人一首。いつか古いのを買ってもいいなとは思っていたのですが、こんな値段で運よく手に入れられるとは。2500円なんて、市販の中で一番安いのでもそれくらいはしそうなのに!

 

浮かれつつ帰宅し、さっそく読み札と取り札をペアにする作業を始めました。しかし、これが難しい。古い文字を交えつつ、細い崩し字でさらさらと書きつけてあるのです。『し』は『志』と書かれているし、『の』は『み』に似た不思議な字になっています。素直に読めるものはほとんどありません。作業しているうちに解読するのが早くなってきましたが、それでも『秋の田の…』から順に並べるのに2時間以上かかりました。

こんな調子ではこれを使ってかるたを取るのは無理でしょうが、それでもこのかるたが手に入ったことが嬉しくてたまりません。

しばらくは、手の届くところに置いて、絵を眺めたり文字をもう一度解読したりして楽しみたいと思います。

 

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コメント: 3
  • #1

    ボッコちゃん (月曜日, 08 7月 2013 03:59)

    家にあるのはありふれた市販の百人一首という所で、思わずありふれた物で悪かったわね!と突っ込みたくなりました。オットット・・・。写真で見る限り、趣もあり良さそうな物ですね。でもカラー印刷で80~100年前はちょっと・・・?かな。お宝鑑定団のおじさんのセリフよろしくここは「大事になさって下さい」と申し上げておきます。 

  • #2

    凹太 (月曜日, 08 7月 2013 13:13)

    骨董品の値段が安いか高いかは自分で決めるもの。いらない人にとってはゴミになるし、欲しい人にとっては宝物。だから面白いんですよね。それに普段見ない物も見られるし。また、人が何かを買っているとなんでそんなもん買ったのと聞きたくなる時と、良いなと思う時があり、これもまた面白い。もうすぐ落ち着くと思いますので、こちらの骨董市(盗品も混ざっていそうですが)に行きたくなりました。

  • #3

    nana (水曜日, 24 7月 2013 18:34)

    ボッコちゃん:「ありふれた」云々は、言葉の綾というやつです。読んだ人が想像できるように説明しようとしたらこうなりました。お気を悪くなさったならごめんあそばせ。でも、正直なところ、新しいほうの百人一首は札がすらすらと読めるので、重宝しているのです。観賞用と実用と、でしょうか。
    ちょっと見た限りだと、木版画に見えるので、骨董屋さんも間違えたのでしょう。(まだよく見てもいなかった様子でした)他の色は版画のようなのに、1色だけ印刷とわかるドットが見えるので、それを見て私も印刷だと気付いたくらいです。紙も古びて、いい感じです。もちろん、大事にしますっ!

    凹太さん:そうそう、人によっては汚いガラクタにもなるんですよね。骨董に興味がない人が、家にあった古いものを捨ててしまった話をよく聞きますが、そのたびに歯ぎしりしたいくらい悔しくなります。
    そちらの骨董市はかなりジャンクでしたが、おもしろいものもありそうでしたね。でもあんまり買うと、帰国の時が大変かも?