古典文学と、出会い

おかげさまで植物画の体験講座の方は、お申し込みが定員に達しました!

このような教室を開くのは初めてなので、どきどきしながら準備などをしております。

当日、どんな講義になるのか、どんな方とお会いできるのか。今から楽しみです。

 

 

日曜の朝、ニュースでもと思ってテレビをつけたら、放送大学で面白そうな番組をやっていました。和歌の系譜を追う、シリーズものの講義らしかったのですが、今回は、藤原俊成と定家の時代。

藤原俊成は、勅撰集に四百余首が載っている偉大な歌人で、千載集の撰者。

その息子・藤原定家は、新古今集の撰者で、また小倉百人一首の撰者としても有名ですね。

 

私はちょうどそのあたりのことを本で読んだばかりだったので、興味津々。テレビの前に座り直し、音量を上げました(放送大学の先生方は、なぜか皆さま小声で話されます)。

 

俊成の権威についての下りで、当時の和歌集の『撰者』というものの地位の高さに、改めて驚きました。中学や高校の授業では、“和歌は社交の一手段で、恋愛にも大きな役目を果たした”ということは何度も習いましたが、逆に言えばそうとしか習っていない気がします。

しかし、古代~中世にかけて、歌は神を鎮める呪力のあるものとして、あるいは崇高な芸術の宿るものとして、重んじられてきた歴史があります。

朝廷では多くの歌人たちが、自然・政治・信仰・恋愛など、ありとあらゆるものを歌として詠みましたが、歌が上手い者は身分に関係なく一目置かれ、認められもしたようです。

歌が認められ、自分の歌が勅撰集に載れば、それはとても名誉なことであり、生きた証を後世に残すことにもなるのです。その一切を取り仕切る撰者の地位の高さは考えてみれば当たり前かもしれません。

 

歌壇には、上皇の主催するものもあり、そこにまた政治とは別の権力も生まれました。

特に後鳥羽上皇は埋もれた才能の発掘に熱心で、俊成卿女(俊成の孫娘)、宮内卿などの女流歌人を見出し、サロンに引き込んで互いに競わせたりもしました。

藤原俊成の地位を考えると「俊成卿女」という名前をつけられるのはプレッシャー以外の何物でもなかったでしょうし、宮内卿もうら若く世間も恋もよく知らぬままにサロンに引っ張り込まれ、プレッシャーに追い詰められながら歌を詠み続けたすえに夭折という、悲劇的な女であったようです。

 

平安時代の貴族たちは自分のために歌を詠み、また恋のやりとりにも使いましたが、歌が重要なのはそんな場面ばかりではありません。歌の返し方ひとつでお上の不興(この不興というのがまた恐ろしく、下手をすると島流しなどもありえたとか)を買うこともあれば、自分の出世のきっかけを作ることにもなったのです。

「たかが…」とはとても言えない、和歌が当時の社会に占めた位置、そして歌壇を背負った歌人たちの名声と権力、重圧……。

 

その凄まじさを思いつつ、それが一方では百人一首などとなって、現代に親しまれていたりするのだから面白いものです。高尚とされる文化も民衆レベルに下りて来るし、俗化もする。しかしそれゆえに後世に残ることもある、といったところでしょうか。

そして、百人一首に興味を持ったことから、私のような現代の若者が和歌の評論(『女歌の系譜』馬場あき子著は、難解だったけど面白かった…!)を読んだり、躬恒や貫之といった歌人に惹かれて古今和歌集を紐解いたりもするのです。

 

その放送大学の先生も、「社会の役に立つ弁護士になるのだ」と法学部に入った一年生のときに読んだ一冊の本がきっかけで、「芸術にかかわりながら何か社会の役に立つのが、自分の道ではないか」と思い直し、文学部に移ったと言っていました。

これが『出会い』というものでしょうか。

当時のことを語り、その頃読んで感動した詩を朗読してみせる先生は、少し照れたような、でもとてもいい顔をしていました。

 

私はそういう人間を見るといつもやらずにいられない習慣があります。

この時も例にもれず。 飲んでいるのはお茶でしたが、画面の向こうに向かって、

「チアーズ!!」

と乾杯したのでした。

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コメント: 3
  • #1

    凹太 (水曜日, 05 6月 2013 10:11)

    難しいことが書かれているので、及び腰です。どこかに高校の古典の教科書は捨てられずに残っていますが、ずっと開かずにいるのはないのと同じです。でも、一つだけ感じる事があります。和歌の世界は四季のある国だからこそ栄えたと思います。春を待つ気持ち、月を眺める、それに恋い焦がれる思いが重なって、共鳴しているのではと。残念ながら、一年中、紫陽花、薔薇が咲いている所では和歌は心に響かないようです。

  • #2

    ボッコちゃん (水曜日, 05 6月 2013 11:48)

    はい、今回の記事は大変お勉強になりました。頭を使ったので少々お疲れです。放送大学、奈々さんはお好きなようですね。私はめったに見ませんでしたが、以前平田オリザ氏がお出になられていた時はビックリしました。放送大学やるな~と感心しましたね。他の先生と同じく静かな語り口でした。

  • #3

    nana (金曜日, 07 6月 2013 11:08)

    凹太さん:
    あら、及び腰にさせてしまったようですみません。マニアックだから、書くのも迷ったのですが、それでも書きたくて、つい。
    そちらではたしかに和歌っていうムードではありませんね。(と言いつつ、そちらに滞在中、和歌の本を読んでいた私ですが)

    私も和歌は四季あるからこそ、発展したと言えると思います。近年、季節感が薄れつつあるといっても、まだ日本人には「四季ととも暮らしがある」という実感が残っているようですね。季節によって部屋のしつらいや食器まで変えるという文化も日本独特のものです。
    また自然の移り変わりを見つめる目から無常・もののあはれという感覚も生み出しました。これが和歌をはじめ、さまざまな芸術の根幹となっていく様に、私は非常に興味があります。

    ボッコちゃん:
    お勉強、かぁ。うーん、私にとっても勉強ですが、好きなことだと苦にならないものだなと最近しみじみ思います。本来、勉強ってそういうものかな。大人になって、好きなことを好きなように勉強出来る事の自由と喜びを感じる機会が多くなりました。

    放送大学は、「研究者として優秀なことと講師として明快な授業ができることは違うのだな」と思ってしまう時もありますが、たまに面白い授業があります。(まあ見るのはたいてい偶然なのですが)
    ただ教えていくだけの授業よりは、自分の研究をわかりやすく解説するタイプの講義が多いので、「研究者ってそう考えるのか」、「そういう伝手で調査していくんだ」と感心させられることもあります。
    にしても、平田オリザ氏の講義、見てみたかったです。