ラキラ編

地元の子供たちに道を聞くも、全然別の方向を教えられたり(悪気は全くなし。わからないならそう言ってくれればよいのに…)しながらもドライブを続け、着いたラキラの町。

ここは焼き物で知られている町で、町のはずれや少し裏通りに入ると工房があり、煙突が見えます。

 

町は小さくて素朴ですが、中心となる通りにはお土産物屋さんがずらり。どのお店も、とってもカラフル!お店の外壁も、“素っ頓狂”と言っていい色が使われていたりするし、ディスプレイされているハンモックや服なども鮮やか!

中で売られている焼き物は、赤茶色をした素焼きか、それにさっと釉薬をかけて絵付けをしただけの素朴なものがほとんど。手びねりの調味料入れやマグカップから、極彩色のオウムのモビールなど、実に様々な陶製小物がところ狭しと置かれています。

窯元なだけあって、首都のお土産物屋さんには置いていない商品もあり、見ていて面白い。

 

凹太さんが研究している、フィケという繊維植物を使った人形を扱っているお店があったので、のぞいてみました。天井からバネ付きのワイヤーでぶら下げられた人形がたくさん売っていましたが、その中に魔女を発見!のんきそうな表情で、緊張感も怖さもあったもんじゃない魔女ですが、魔女は魔女。そして、服や髪、乗っているほうきも、フィケでできていました。

“せっかくコロンビアに来たなら、フィケでできたものを何か買いたい”と思っていたところに、魔女好きの私のために用意されたかのような、魔女の人形。もう、これは買うしかありません。

部屋中にぶら下がった人形たちから魔女を探しては、服の色や顔を比べ、悩んだ末にひとつ選びました。「この子にする」と指さすと、凹太さんの同僚と運転手さんがにやりとして、二人で私の代わりに店員に値段交渉を始め、見事に値引きさせてくれました。

 

それからまた他のお土産物屋さんへ行き、肩掛けカバンを探すことに。コロンビア人が老若男女問わず、よく使っているので、気になっていたものです。

化学染料でカラフルに染めたコットンの太い糸、植物染料でモノトーンに染めたウールやアルパカらしい毛糸、そしてフィケで編まれたものなどがあり、染料の違いや手仕事かどうかなどで値段はまちまち。

毛糸を使い植物染料で染めたものはフォークロアっぽいけれど、シックな色合いで都会的にも使えそう。しかし、手仕事なだけあって数万円します。

そちらは諦めて、今回はカラフルだけど、日本で使っても浮かないものを選択。これも値段交渉をしてくれて、少し安くなりましたが、そうでなくても首都のお土産物屋さんよりずっと安いようでした。

 

まだメインストリートを全部みてはいないけれども、日が傾いてきて、そろそろ帰らなければならない時間になってしまいました。カラフルで、ちょっとノスタルジックな街並みに、後ろ髪を引かれつつ車へ乗りこみます。黄色い光が山々を照らし始める中、車は来た道を戻り始めました。

 

走ること一時間ほど経ったでしょうか。ボゴタに直行するのかと思ってうとうとしていたら、運転手さんが窓から顔を出してなにやら通行人に道を聞いているのが聞こえました。途中の町におすすめの教会があるようです。

車から降りると、肌寒い空気に包まれました。トランクから上着を出して、しっかり着込みます。それでもまだ覚めきらぬ眠気の中、群青色がかってきた黄昏時に、名前も知らない町の、どことも知らぬごちゃごちゃした細い通りを歩いていると、夢の中をさまよっているような気がしてきます。アジア人を見慣れない人々の好奇の目も、足の裏に伝わるでこぼこだらけの石畳の固い感触も、みんななんだか遠くて……。

 

少し歩くと大きな広場に出ました。広場に面して立派な教会があり、ライトアップもされています。首都の教会に匹敵する規模かも?

外が暗くなりかけているというのに、教会内部にはまだたくさんの人がいて、壁に沿って並んだ祭壇を見て回ったり、中央の祭壇を見上げて祈りをささげたりしています。

入り口近くで凝った装飾を見上げ、ぼおっとしていましたが、ふとあたりを見渡すと、運転手さんはきちんと十字を切り、体を折るようにして礼をして中に入っていきました。

いつもの陽気で飄々としたキャラクターはどこかへ行ってしまい、今は敬虔な一教徒の顔です。

 

ドームがいくつか繋がったような構造の広間があり、さらにその両脇にもそれぞれ大きな部屋が付いていて、全部でいくつの祭壇があるのかわからないほどの祭壇があります。やはりマリア信仰が強い南米、祭壇もマリアのものが圧倒的に多いようです。

背の低い電話ボックスくらいの大きさで、木製で装飾もアンティークの家具そっくりな懺悔用の小部屋が並んだ一角もあり、白い僧服を着た人の姿も見られます。

 

祭壇はもちろん柱や壁までを埋め尽くす、手の込んだ豪華な装飾や、祭壇の前で何かを呟きながら、真剣に祈りをささげている姿を見ると、宗教というものの及ぼす力の強大さを実感します。そして日本人の多くが宗教を持たないまま暮らしていることは、きっとこちらの人には理解されないだろう、とも思いました。

 

教会を出て、明かりがつき始めた町をまた夢の続きのような気持ちで通り抜け、車に乗ります。そうしてマンションに帰り着いた時にはもうすっかり夜。

疲れていましたが、今日の収穫である魔女の人形だけはぶら下げて飾りました。そして冒険した後の心地よい疲れとともに、あっという間に眠りにつきました。

 

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コメント: 2
  • #1

    ボッコちゃん (水曜日, 24 4月 2013 11:45)

    外国の映画では、教会で懺悔する場面が出てきますが、大抵他人がいない所でひっそりとと言うのが普通かと。しかしこの時行った教会は薄暗いとは見学者がいる所で懺悔しているのを見ました。電話ボックスくらいの小部屋に神父様がおられましたが、私は蝋人形だと思って近づいたら、動いたので心底びっくりしました。そして気が付かなかったのですが、その小部屋の外に懺悔している女性がいました。近づいて悪かったです。

  • #2

    nana (金曜日, 26 4月 2013 21:14)

    ボッコちゃん:展示施設ならともかく、まだ現役で使われている教会で、普段から懺悔をしている人がいるのに蝋人形は置きませんよ、きっと。
    でも私たちはスペイン語がわからないからいいけれど、ほかのコロンビア人に聞かれてしまいはしないのでしょうか。そんなに小さな声でひそひそと話しているようには見えなかったのですが;