コロンビアの旅:ビジャ・デ・レイバ編

朝の4時半に起床。外はまだ真っ暗!これは人間の起きている時間ではない、と思いつつも、

お出かけのためなら起きられるというのは不思議なものです。いそいそと車へ。向かうはアンデスの小さな村、ビジャ・デ・レイバ。凹太さんの上司のご厚意で、運転手付き(!)で遊びに行くことになったのです。

夜の首都ボゴタを走っていると、黄色い電灯に照らし出された、大きな道路や建物が目に入ってきて、改めて、大きな町だなと実感します。この市だけで、大阪府と同じくらいの人口があると聞いてはいましたが、実際に来てみるまで、ここまで大都会だとは思っていませんでした。

 

やがて夜が明け、あたりが明るくなってきました。車はもうボゴタ市を抜け、少しずつ高度を上げていく山道をひた走ります。外は霧が濃く、運転手さんが細く開けている窓から入ってくる空気もかなり冷たい!

集落のそばを通りかかると、すでに起きだした住人たちの姿が見えます。コロンビアはスペイン系、黒人系、インディオ系など、さまざまな民族の血が混じりあった国で、街には本当にいろいろな人がいます。(東洋人はかなり珍しく、知らない人に「一緒に写真を撮っていい?」と訊かれることも…)

しかしこのあたりまで来ると、浅黒く焼けた肌に真っ黒で硬そうな髪をもつ、いかにもアンデスの先住民らしい人たちばかり。まだ明けきらぬ高山の朝、きりりと冷え込む空気の中を車で行くと、ポンチョをまとった人々や駆け回る犬、ほとんど動かない羊たちの影が、霧の中から浮かび出てはまた霧に消えていくのが見えます。

 

ポンチョを着たインディオの姿に、じわじわと”今、自分はアンデスにいるのだ!”という実感がこみ上げてきました。たしか中学の地理の教科書に、アンデス山脈のインディオの写真が載っていました。ジャガイモを生産し、ポンチョを着て高山で暮らす、彫が深くて浅黒い肌の人々のこと。

興味を持って学びながらも、“でもきっと、私は一生ここにいくことはないだろうな”と思っていました。が、しかし、今自分は南米・アンデス山脈にいて、写真ではなくここに暮らしている生きた人々を直に見ている……それが、とても不思議。

なんだか急にわくわくしてきて、滞っていた流れが再び流れ出したかのように、自分の中で何かが生き生きとめぐり始めるのを感じます。

”そうそう、時々こういう冒険がなくてはね!私っていう人にはさ!”と、心のうちで誰かが嬉しそうに言いました。

 

山道を行く途中、霧のなか、広い芝生と石畳の広場が整備されたところに出ました。運転手さんが近くに車を止めたので、なんだろうと思っていると、「ここがコロンビアの独立戦争が始まった地なんですよ」と教えてくれました。

車を降りて歩いていくと、広場のそばに水の流れがあり、そこに小さな橋がかかっています。この橋で一番最初の衝突が起こったのだとか。(こんな小さな橋で何人くらいがどう衝突したのかしら??)広場には英雄シモン・ボリーバルの肖像の他、独立に協力してくれた国々の国旗がたなびいていました。

 

再び車でひた走ります。途中の町でまた車を降り、パン屋さんで朝ご飯を食べることに。

そのパン屋さんではコーヒーや焼きたてのパンを食べられるテーブル席がありました。このあたりでよく食べるスープもあると聞いたので、頼んでみましたが、運ばれてきてみるとスープというよりパン粥でした。しかも、ハーブが好きな私が、ひとつだけどうしても苦手とするコリアンダー(シアントロ)の葉が大さじ一杯くらい散らしてあります!

一見するに、おいしそうではない代物でしたが、「旅に出たら、その土地のものを食べてみる」というのが私のモットーのひとつ。今回も例にもれず食べてみました。

結論:『見た目通りで、やはりおいしくはない』

コリアンダーは何とかなったものの、コンソメなどの、味のベースとなるものが何もない薄いホットミルクにふやけたパン…4分の3くらい食べてギブアップ。

でも現地の人と同じものを食べるのは、やっぱり楽しい!もっとも、そのあと口直しに焼き立てのクロワッサンを食べましたが。

 

さらに車で進みます。外がどんどん明るくなり霧も晴れると、岩山が脈々と続く光景が、抜けるような青空とともに見渡せます。この空の高さと青さは、おお、これぞアンデス!

そしてやっとビジャ・デ・レイバへ到着。町に入ると道はかなり粗い石畳になり、車がぼこぼこと揺れます。道の端に車を止め、石畳の広場(南米で一番大きいとか)へ。コロンビアの街はどこでも、町の中心に広場があり、四方を囲むように役所や教会などの重要な建物が立っているようです。ここでも広場に面して大きな教会がありました。

それから修道院や教会、小さな博物館、キリスト教美術だけの美術館などを見学しました。

このあたりはアンモナイトなどの化石が採れることでも有名で、お土産物屋さんなどでは、窓枠の周りや敷居の下などに、沢山のアンモナイトを埋め込んで飾っていたりします。たくさん取れるとはいえ、大胆な使い方です。

 

凹太さんが自分用にアンモナイトの化石(日本で買うとべらぼうに高い)を購入したところで、再び車に乗り込み、焼き物で有名な町、ラキラへ向かいます。 

コメントをお書きください

コメント: 3
  • #1

    ボッコちゃん (金曜日, 22 2月 2013 22:54)

    「パン粥はチャングァと言う名前でボジャカ県など標高の高い寒い地域の朝食。牛乳を煮立ててチーズ、アレパ(パンの一種)を入れる」と旅行社の人が書いているブログにありました。知っていたら頼まなかったな私は。パン粥は長男の離乳食でした。二番目、三番目の子の時は省略。段々手抜きになりました。それにしてもアンモナイトを買って喜ぶ凹太さん。安上がりな人でいいわぁ~。同じ化石でも私は緑の石がいいな。コロンビアは原産国です。エ・メ・ラ・ル・ド!

  • #2

    凹太 (土曜日, 23 2月 2013 10:52)

    途中3000mを超す峠を越して、気温も天候も変化に富んでいましたね。ビジャデレイバは2600mぐらいだと思います。でも、アンモナイトの化石があるという事は恐竜がいたころは海の中です。不思議な感じがします。そして、これだけの高地になるという事は隆起の際にどれほどの地震があったのだろうかと考えてしまいます。アンモナイトを手に取ると、地球は動いていると実感します。本当は自分で取りたかったのですが、時間もなかったので、仕方なく買いました。でも、磨いていないものです。緑の石も良いけど、これはこれ。それはそれ。エメラルドも掘りに行きたいです。

  • #3

    nana (水曜日, 06 3月 2013 10:02)

    ボッコちゃん:
    離乳食…たしかに近いかもしれませんが、それならコリアンダーは入れないはず。いや離乳食にも入っていたりして??
    先日ラジオで世界のなべ料理の話をしていて、コロンビアのサンコチョも紹介されていましたよ。

    凹太さん:
    あのアンモナイトは、まだ一部石に埋もれたままになっているところがいいですね。よくピカピカに磨かれて宝石のようになっているのもありますが、私は大地に眠っていた時のことを想像して楽しめる方が好きです。
    エメラルドも、本当に綺麗です。緑とはいえ、植物にはない神秘的な青緑で、ほうっと見惚れてしまいます。
    カルタヘナが狙われたのも、金よりエメラルドが目当てだったようですよ。エメラルドのために争いが起こるのは残念だけど、それだけ人を魅了するファム・ファタルだったということでしょうか。