制作裏話?

結局は使わなかった資料の一枚
結局は使わなかった資料の一枚

先日、ずっとかかりきりだった仕事が終わりました!

夜な夜な描き続け、すっかり夜型になりましたが、それは意外に平気でした。むしろ、一日中筆を握っていると、手がその形のまま固まり、広げると痛いほどだったので、手を壊さないかの方が心配でした…。今はもう何ともありませんが。

 

しかし驚いたのは、疲れの出方が昔と違うこと。思えば、高校生の頃はよく夜が明けるまで本を読み、2時間くらい寝て、6時に起きて学校に行き、部活をして帰って来ても平気の平左でした。それにひきかえ今は、たった一日完徹しただけでへとへとになってしまうのですから、いやはや衰えたものです。

 

 

私はいつも、構想で悩みすぎて、制作の時間が押してしまうのが常で、しかもその制作の半ばで大体、一度は”危機”が訪れます。”危機”というのは、「……これ、ちゃんと取り戻せるんだろうな?」と人に訊かれるくらい、画面の秩序が失われることです。

この危機はいつどういうふうに起こるか、全く予想もつきません。集中して描いていたのに、少しずつ歯車が狂うように秩序が失われていき、気がついた時には「!?」ということもあれば、大胆な仕事によって収拾がつかなくなるなど、確実に「原因はこれだ」と指させるようなときもあります。

ちなみに私は前者を”アッシャー家の崩壊”、後者を”大革命”と呼びます。

 

混沌と化した画面に深呼吸をひとつ。剣を構えるつもりで筆を構え、キッと立ち向かったのに、どこにも手が出せずに唸ったり。

逆に、”ここに手を入れなければ、これ以上先に進めない”とわかっているのに、どうしても手が出なくて悶々としたり。

自分でやっておきながら、「いったい誰がこんな色を?!」と取り乱したり。

 

いつもながら、危機が起こり、もう駄目かもしれないと追いつめられるのに、結局は完成してしまうことに驚きます。(例外は一枚だけあるのですが。)

  今回もまたこのパターンにはまり、構想で悩みすぎて作業時間が押せ押せになり、夜なべ仕事のうちにアッシャー家は崩壊。夜半、「うーむ」と唸ったまま手が動かなくなり、しばらくして諦めて寝ることにし、翌朝また「ううーむ」と唸ったりしていました。

無理にでも手を動かし、もう一度秩序を作りなおそうと足掻くうちに、いつの間にかまとまってきましたが、いやはや、本当に完成して良かった!今回は仕事でしたので、さすがに少々ひやりとしました。

 

難しい仕事でしたが、図書館で資料を文字通り、”山ほど”借りて、あーでもないこーでもないとモチーフや構図を悩むのは、楽しくもありました。

さて、その絵は企業のホームページに使っていただける予定になっております。もう少し後のこととなりますが、進展がありましたらお知らせいたします。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    ボッコチャン (日曜日, 17 6月 2012 13:23)

    色々苦労がありますね。仕事がひと段落したようで、良かったです。私も苦労してますよ。語学で。苦労のベクトルは違いますけどね。

  • #2

    nana (火曜日, 19 6月 2012 22:50)

    ボッコチャン、コメントありがとうございます。
    語学、苦労なさっているようですね。異国の言葉で更に別の言葉を習うなんて、絵を描くよりよっぽど難しい気がしますけれども。
    …ベクトルで表すなら、矢印の長さがより長くなるのでしょうか。

    私はまた次の作品でも、構想に悩んでおります。いつものパターン。
    お互いめげずに頑張りましょう。