良質なミステリ、求む

まさに、万緑草中紅一点。空き地に咲く、たった一本のチューリップ!
まさに、万緑草中紅一点。空き地に咲く、たった一本のチューリップ!

このところ何かと忙しかったので、4月はなんと一度も(!)図書館に行けませんでした。先日、やっと、ほんとうに久々に図書館に行ってきました。

 

 

普段は、図書館へは調べ物がなくてもよく行きます。本棚の迷宮をふらふらと、蝶が花から花へととまるように、本から本へ…としているだけでなんだかリラックスし、楽しくなってくるのです。疲れもほどけるような気がします。

 

 

真剣に目当ての本を探していることもありますが、本棚に並ぶ本の背表紙をあてどなく目で辿っているだけのこともあります。不思議とそういう時に、探していたのに見つからないでいた本や、まさか所蔵されているとも思っていなかった本が見つかったりもします。

 

時々、図書館には意思があって、本を秘密の場所から出してくれたり、隠してしまったり、人を選んで本を取っておいてくれたりしているのではないかと思うときがあります。私にとっては、図書館はただ本を保管して貸出してくれるだけの場所ではなく、ロマンと冒険がある特別な空間です。

 

私以外にもやはりそう感じる本好きはいるようで、図書館を舞台とした、幻の本をめぐるミステリなども数多く書かれています。(幻の本なら、古本屋の店主が主人公の小説も多いですが)

そういうミステリは、著者自身がビブリオマニアであることが多いので、本のウンチクが妙に長くてうんざりすることもあります。しかも、なぜかこの手の小説は、設定には凝りに凝り、展開も精密な仕掛けになっているのに、そのくせラストが拍子抜けというパターンが多いのです。

「読者の期待を掴み、さんざん引きまわしておきながら、そんなあっけない結末?!」というある意味、驚愕のストーリーの数々。ああ、非常に残念!

 

”ミステリに登場する人物・舞台は、非現実的な(芝居かかった)設定でもよし。ただ、よく練られた展開の仕方で、ウィットのあるセリフを織り交ぜ、緻密に作り上げられた上質なものでなくては……”というのが、私のミステリ観です。

だから、普段ならラストが拍子抜けなんてミステリは、「つまらん!許せん!」と憤るところなのですが、「でもこの人はすごい本好きなのは確かなんだよねー。残念、きっと情熱が先走っちゃったんだな。」と思うと、つい評価が甘くなってしまいます。

(同病相哀れむ、でしょうか?)

 

ミステリはよく読む方ですが、なかでも“本”、”美術品”、”芸術”をめぐるミステリがとりわけ好きで、見つけたら大体読みます。 読んでいたら止まらなくなって、夜が明けるまで読み続けてしまった面白い本も何冊かありましたが、はずれの方が断然多いのが現実です。

よく「つまらん!」と嘆く破目になっているというのに、それでも図書館や書店で本棚にそれらしいタイトルを見つけると、その本を引き出して、いそいそと中身を確認せずにはいられないのです。