福島の、夜ノ森の、さくら

今朝の朝日新聞の『耕論』に、福島の子供たちに作文を書いてもらったというジャーナリストが、福島の子供たちに宛てた文章が載っていました。

 

書かれた作文は、予想に反し、原発や放射能への怒りや恐怖について触れていないものばかりだったそうです。放射能のことは、ニュースなどで随分詳しく解説してはいましたが、まだ大人たちにもよくわかりません。子供ならなおのことでしょう。作文に書けないのも、漠然とした不安や不審を、言い表せないでいるためなのかもしれません。

それにしても、 ほとんどの日本人にとって「よくわからないもの」である放射能のせいで、避難を強いられ、不安を抱き続けている人たちが、一年が過ぎようとする今もまだ沢山いるという事実には、考えさせられるものがあります。

しかし、その記事でなにより印象的だったのは、引用されていた作文の一文でした。

 

”はるは、かぞくでよの森のさくらのトンネルを見にいきました”

 

小学校一年生の男の子が書いたものだと言います。

家族で桜の花を見に行く……どこの家でも、子供が小さければ年に一度くらいは行くような、なんでもない春のお出かけのこと。小学生の作文によくありそうな一文です。なのに、ざっと記事を斜めに読んでいた私は、その一文で動けなくなりました。

この文章が学校の授業かなにかで書いた、ただの「小学校一年生の作文」だったなら、私はただ微笑ましいとしか思わなかったと思います。この一文だけを見れば、情報は少ないし感想もなく、ただ単純な事実だけのシンプルな一文です。

それなのに、それが福島の子供が帰れない場所での春の思い出を書いていると知ってしまうと、逆にこの一文の「単純さ」こそがひどく心をかき乱します。

 

福島に限らず被災地の子供たちは、震災前には当たり前にあり、これからもずっとそうであるだろうと思っていた、「いつも」や「毎年」がある日常というものの喪失を、幼いなりに感じている事だと思います。身近にいた大切な人を、突然に失った子供もたくさんいました。そうでなくとも、私たちひとりひとりにとって、この春はもはやただの春ではないでしょう。

”はるは、かぞくで…”が、こんなにも切なく響くことがあるとは、思いもしませんでした。