後の心にくらぶればむかしは物を思はざりけり

とうとう、百人一首をすべて覚えました!1月半ばから始めたので、ひと月半もかかってしまいましたが、なんとか覚えきりました。

その間、色々なところに本を連れて歩いたので、本の方は少し痛んでしまいました。この本は、母が購入したものですが、本人もそのことを忘れていたくらい昔の本です。まさか娘がここまで熱心に読み込むとは、ゆめゆめ思ってはいなかったようですが、百人一首に強い思い入れのある人が解説していて、とてもいいテキストになりました。母上よ、ありがとう!

 

さて、いざ百首覚え終えてみると。

競技かるたをするつもりではなかったのに、“せっかくここまで覚えたからには、友人とかるたが取れるくらいにはなりたいな”…と欲が出てきてしまいました。競技かるた向きに、上の句の何文字かで下の句を取れるように覚えなおそうかなとも思います。

 

百首一首の歌は、時代順に並んでいます。順に読んでいくと、たとえば清少納言の家系からは、何人も選ばれているのがわかったりして面白いです。 清少納言の父、清原元輔などは歌が上手でない人に頼まれて、心変わりした女性への恨みの歌を代わりに詠んであげたりなどもしています。

私が読んだ本には、歌の後に訳と文法の解説、そして作者の経歴などが載っています。経歴の部分には、「歌はうまかったが出世しなかった」、「歌だけでなく書や管弦にも通じ…」、「蹴鞠の名手で…」などとも書かれていて、それもまた楽しめました。 

 

当時、歌は教養であるだけでなく、詠むのが上手であることも魅力のうちでしたし、歌のやり取りで恋愛が進んだので、男女ともにさぞ必死だったことでしょう。

百人一首に選ばれている人たちは、もちろん、歌人として名高かった人ばかりです。そんな人の詠んだ、忍ぶ恋の歌、つれないひとを恨む歌、浮気な男を嘆く歌、一人寝のさびしさを詠んだ歌、痛々しいほど一途な恋の歌。当時、これらの歌はどれほどの破壊力を持って相手のもとへ届いたのでしょう。想像は膨らみます。 

 

一読したときは良さがわからなくとも、口ずさんでいるうちに音の良さやリズムに気がついたり、こめられた感情が時代の差さえ越えて伝わってきたりして、「やはりいいなぁ!」と納得できる歌もたくさんありました。

 

しかし中には、“なぜこれが選ばれたのか?”と思う歌もあります。“この人なら他に秀歌があるのに、なぜこれが?”ということも。

この疑問に対しては、そもそも百人一首が、当時の豪族・宇都宮入道頼綱の別荘の障子を飾るために選ばれたという点を考慮しなければならないようです。 技巧的には大したひねりはないけれど情景がきれいな歌、実感はないけれど雰囲気のある歌なども、きっと定家の美意識によって吟味された上で選ばれ、障子を情緒豊かに彩ったのでしょう。

また、歌会で競り合った二つの歌を両方並べるなど、撰者である藤原定家のサービス精神や茶目っ気を感じる部分もあり、一人の人が百首を選ぶということの面白さにも気付かされました。

 

百首を一字一句の誤りもなく暗唱できるようになってくると、それぞれの歌がとても身近に感じられてきました。初めは音としてしか認識できていなかった歌も、口ずさめばその歌に詠まれた感情や情景が瞬時に浮かぶようになってきたのです。

“何度読んでも好き””どうしても、やはりこの歌はいい!”と思うものも、いつの間にかできていました。こうして少しずつ人生の道づれとなる、お気に入りの歌が増えてゆくのは嬉しいものです。

 

万葉集、古今和歌集、新古今和歌集……すでにいくつか気に入っている歌があり、もう少し読んでみたいと思っている和歌集もあるし、 閑吟集のような歌謡集も面白そう。百人一首のように丸暗記をするつもりはありませんが、次は何を読もうかと、いまから悩んでいます。