わが衣手に雪は降りつつ

私は今年も野菜の苗を作るアルバイトをしています。「そんな地味で土っぽい仕事をしなくても…」と言われたこともありますが、私は割と気に入っているのです。

 

いかにも冬の朝らしい清澄な空気の中、流れる景色を眺めながら自転車で仕事場へ向かいます。そう遠くないのに車を使うのはもったいないので、車で行くのは雨の日だけにしています。

 

去年も朝、会うのを楽しみにしていた馬と、今年も会えました。相変わらず、靴下をはいたように足先だけが白くて面白いやつです。

今は枝だけの姿ですが、木苺の茂みもあります。初夏に実を摘みに来るから待っててよね、と念じて横を通ります。

桜の並木も見えます。こんなに寒いのに、幹にはもう、ほんのりと灰桜色が差しています。目を凝らさないと気がつかないようなところで、静かに春の支度が始まっているのがわかります。けれどやはり常緑樹の暗い緑と、わずかな雑草のほかには、緑のものはありません。

 

しかし仕事場に着くと、ビニールハウスの中ではもう緑がいっぱいです。何十メートルも続く可動式の台の上には、びっしりと野菜や花の苗が並べられ、緑の絨毯がどこまでも敷かれているように見えます。苗の種類によって、緑の色合いが違うのも目に楽しい。

外はまだ枯れ木ばかりで、日差しも弱く、寒々しい景色だと言うのに、ここには時に空気が緑に見えそうなほど、「生」の気配が溢れています。日の光がさんさんと差し込む中、いきいきと光に向かって体を伸ばしている苗たちを見ていると、なんだかほっとします。

 

ふと、マキリップ(幻想文学寄りのファンタジー作家)の『冬の薔薇』の主人公を思い出しました。“年頃の娘なのに、一日中森を歩きまわって、髪に葉っぱなんかくっつけて帰ってくる…”と、親を嘆かせる野生児で、森の恵みを村人に分けて稼ぎとしている娘です。たしか彼女は、雪が深くなる冬場は森に行けず、家で悶々としながらひたすら春を待っていました。

私はその本を、彼女に感情移入しながら読んだ記憶がありますが、今思うと、私にはかなり彼女に近い部分があるのかもしれません。

 

 

 

 

さて。一月半ばくらいから、少しずつ覚え始めた百人一首。やっと78首まで覚えました!「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」ではありませんが、昨日の朝は一面の雪景色でした。しかも雪はさらさらで、機械で削ったかき氷の、あのふわっふわの氷にそっくりの感触です。中に空気を抱くように、ふんわりと軽く積もっているためか、少しの風にもはらはらと風花のように散ってゆくのが、なんとも趣深い。

 

自転車で仕事場に向かう道すがら、美しい光景に何度も出会い、「うわぁー、綺麗!」と一人で小さく歓声を上げていました。あまり綺麗なので、ときどき自転車を停めて写真を撮ったほどです。車の走る速度では見られない光景なので、自転車で通っていて本当によかった!と心から思いました。

 

慎重に走ってはいたものの、凍った地面で一度転び、諦めて自転車を押して歩いていると、今度は雪の上にウサギの足跡を発見。自転車で転んだという恥ずかしさも、ちょっとぶつけた膝の痛みも、この発見で一気に吹っ飛んでしまいました。

ウサギは歩道の雪に足跡を残し、そのまま道路を横切り、雑木林へと入ったようです。自転車など道路わきにでも停めてしまい、その後を追ってすぐさま雑木林へ飛び込みたいところですが、ぐっと我慢。

“ウサギの後を追うなんて、『不思議の国のアリス』みたいなことは、大きくなるとなかなかできないものだなぁ”と、ため息。 大人になったことが悔やまれるのは、こういう“冒険に忠実になれない”ときです。

 

でも、よく考えてみれば。アリスが追いかけたあのウサギは、二足歩行だったはず。

“だから、あの足跡を追いかけてもアリスのような冒険はできないし、追いかけなくてよかったのだ”と思うことにしました。本当は野生のウサギでも、追いかけたい気持ちがあったのですが、ここは都合良く忘れることにします。

つまりは、『すっぱいぶどう』です。