味噌作り

琺瑯の甕も年季が入ってきました
琺瑯の甕も年季が入ってきました

このところ何年も作っていなかったのですが、「よし今年はいっちょ、味噌を作ろうか!」という話になりました。が、このところ何かと忙しい母。初めて私一人で作ることに。

 

あらかじめ水につけておいた、大鍋いっぱいの大豆を火にかけると、灰汁が出てきます。張られた水に浮いた灰汁は千切れ雲のようです。鍋の中に空があり、その空を上から覗き込んでいると、自分が雲海を治める女王か何かになった気分になります。

くつくつと煮るうちに、灰汁は千切れ雲から積雲に成長します。こうなると女王気分も吹き飛び、灰汁をすくうのに忙しくなります。

 

ひととおり灰汁を取り除き、ふぅと一息。椅子に座り込み、新聞をながめながら「まったく、日本でも電力会社を選べればいいのになぁ」と嘆いていたりすると、いつの間にか高さ数センチの積乱雲になっていたりもするので、油断できません。

新聞は諦め、本を取ってきました。女性を無学とみなす偏見に対しての言だったかと思うのですが、我が尊敬する師匠、ターシャ・テューダーが「鍋をかきまぜながらでも、詩集は読めるわ」というような事を言っていたのを思い出します。

 

そして私が鍋の前に立ちながら開いた本はといえば、「小倉百人一首」。

中学でも高校でも覚える機会がなく、そのままなのが気にかかっていたので、一発奮起して百人一首を覚えることにしたのです。意味を確認し、作者の経歴にも目を通しつつ、一首ずつ声に出して何度も読んで暗唱します。

1日に3首くらいずつ覚えてきましたが、今日はちょっと頑張って12首!やっと、30首目(有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし)まで来ました。

 

一生懸命暗唱しているうちに、大豆が目安の“親指と小指でつまんで潰れるくらい”やわらかくなったので火を止めました。マッシャーで潰し、塩と麹を混ぜて、泥団子のように丸めます。

 

初めは即興の曲なぞ口ずさみつつ、機嫌よく手を動かしていましたが、だんだん手荒れに塩が沁みて痛くなってきました。傷口に塩を塗りこむ、とはこういうことでしょうか。

そういえば、童話「かちかちやま」に出てくるウサギは、タヌキの背中の火傷に辛子を塗りこんでいたな、と思い出しました。子供の頃、タヌキがひいひい痛がっても、けろりとしているウサギの方が、タヌキよりよほど怖く、あの場面がくると戦慄が走ったものでした。

 

ところで、タヌキはおばあさんを殺めた罰として、ウサギに痛めつけられていたわけです。では私はいったい何をしてしまったために、こんな手をひりひりさせなきゃならないのかしら…?はて?

 

なにとはなしに不条理を覚えつつ、なんとか丸め終えた味噌を、焼酎で消毒した甕(かめ)に叩きつけるようにして詰めていきます。拳を作ると右手が悲鳴を上げたので、途中で選手交代。左手でぎゅうぎゅう押して空気を抜き、消毒したラップで蓋をし、塩で重しをします。そして甕を封印。今日はこれまで!あとは、梅雨明けに一度天地返しをし、今日から10カ月~1年後に完成です。

 

一仕事終えて気分はいいものの、手はところどころ腫れ、洗うと水が突き刺さるように感じます。これは思ったより重傷…!今夜はロクシタンのハンドクリームでリッチに手入れしてやらねば、と心に誓いました。

願わくは、この痛みが報われるくらい美味しーいお味噌ができますことを!