月夜

誕生日の晩が、ちょうど中秋の名月でした。

十五夜の日は、毎年ずれていきます。なので、私の記憶ちがいでなければ、誕生日と十五夜が重なったのは初めてのように思われます。

今まで9月生まれのことなど、考えたことはありませんでしたが、何年かに一度でもこんな夜があるのなら、この時期に生まれたのは幸運なことだったと思い直してもいいかもしれません。

 

私は藤原氏(望月の欠けたることもなしと思えば…)のように、月までが自分を祝ってくれているなどとは思いあがれませんが、それでも嬉しく、夕刻を待って月を見にゆきました。

 

少し歩くと、田んぼにつきます。今年は田植えが遅かったし、数日前まで天気が悪かったこともあってか、この時期にしては稲刈りが終わっていない田が多いようでした。

麦の金とはまた違う、金茶色の稲。大風と雨をやり過ごす間に、傾いたり、倒されたりしたらしく、あたりは金茶の海原のように見えました。

 

とても綺麗な月でした。

ざわざわと風に揺れる稲の海にただひとり立ち、自らに満ち足りているようにぽっかりと浮かんだ月を見ていると、自分がどこにいるのか分からなくなりそうでした。

だんだんと暗くなるにつれて、ますます輝きだす月は、太陽の光が反射しているだけとは信じられないくらい明るく、そして真円はあまりに完璧で嘘のようです。

立ち尽くす私の周りにも薄闇がせまり、いつしかその中に溶け込んでいる自分を意識すると、ますます世界は闇と月しか存在していないかのように思えました。

 

すこし背筋がうすら寒いような、でも不思議と心の絡まりがほどけていくような心地がして、このままこの月をずっと見上げていたいと思いました。

 

カメラを持っていたけれど、この風景は撮ってはいけない気がしました。撮ったのを見て、後から絵にしてもこの感じはきっと表せない、台無しになると感じたのです。

そして描く前から、いま自分が感じているものは、多分今の自分の絵では表現しきれないだろうと悟りました。

 

わかってはいたものの、小さいパネルに8割がたまで描いてみました。けれど、あとの2割を仕上げてもやっぱりあの時の気持ちは描ききれそうにありません。絵に託しても表現できないものを持て余すことが多くなってきた気がします。