京都 南禅寺

訳あって急に京都に行ってきました。

 

折角行くなら、と行きたいお寺やお店を調べていったのに回りきれませんでした。

そういえば、中学の修学旅行ではあちこち駆け回っていろんな場所を訪れたものですが、本当に「行った」というだけで、じっくり観ることなどなかったように思います。

それにくらべるとこの頃は、ひとつの場所をじっくり観るようになってきて、気がついたらお寺に1時間半もいた、なんてこともありました。

 

 

今回の旅でまず訪れたのは、南禅寺。小説の中で、主人公が待ち合わせの前にふらふらと散策する場面があり、静かで落ち着きのある境内の様子や、煉瓦造りの水道橋が描かれていて、一度行ってみたいと思っていたのです。

 

水路閣はまだ現役で使われている水道橋でした。近寄ると水の音が聞こえ、南禅院の方から上ると橋の上にごうごうと流れている水が見えます。煉瓦のアーチは美しく、また煉瓦の古びた赤色にもみじの青葉が映えます。

 

 

南禅寺の方丈も見学しました。各部屋に配された狩野派の襖絵を覗き込みながら、黒光りする廊下を行くと、いくつもの枯山水の庭があります。禅宗らしく端整で品のある建築と庭が美しい。山が借景として取り入れられ、洗練され隙のない庭に不思議な安定感を与えています。

石の硬い白や鼠色、時を経た木材の渋い茶色、はげかけた欄間の朱色、植木の様々な色合いとやわらかさの緑、少しだけ咲いている花。さまざまなものが対比し、溶け合い、一つの空間を作り上げています。

これだけ心血を注いで作庭することからして、きっと禅の修行にも、「場」の影響は大きいのでしょう。私のような素人でも、こういう場に立つと感じるものがあります。南禅寺の庭は、自然と背筋が伸びるような緊張感があるのに、心はむしろ、解きほぐれ静寂に広がってゆくようにも思えました。

 

 

帰りに再び門をくぐろうとして知ったのですが、南禅寺の三門は上に登れるようになっていました。普通の建物の4階くらいになるところに、ぐるりと濡れ縁が廻らせてあり、京都の町が一望できます。いい眺め!

床は少し外側に向かって傾斜がついていて、雨が降っても水が外に流れるようになっています。古い建築に組み込まれた小さな工夫は見つかると面白いものです。

今はもう大きなビルなどいくらもあるけれど、この門も昔はさぞ高く感じられたことだと思います。石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言ったという伝説も残っていました。さもありなん。

 

目についた小さな神社などに寄りながら、歩いて市街に戻り、雑貨屋の「アンジェ」へ。文房具からキッチン用品までいろいろあり、北欧のものも多くて楽しいお店。

リスの形のお皿を衝動買い。ガーリーすぎる雑貨には興味がないけれど、こんなポップですっきりした北欧風なら使いやすそう。赤い色も程よくレトロです。

 

本当はこの他に細見美術館と六耀社に行きたかったけれど、時間オーバー。この日はこれだけ。