おととい、被災者支援のためのチャリティコンサートに出かけました。
ピアノは御子柴聖子さん、ヴァイオリンは永井由里さんです。
実は今回のコンサート、チャリティーだからというだけでなはく、永井さんと聞いてすぐ「行く!」と決めました。
永井由里さんのヴァイオリンを初めて聴いたのは、小学生の時だったと思います。
コンサートのはじめは、ヴァイオリンが生で聴けるのが新鮮で、わくわくしながら耳を傾けていたのですが、だんだん難しい曲ばかりになり、しかも会場が暑くなってきてぼぉっとし、いつしか舟を漕いでいました。
拍手の音であわてて起き、座りなおすと最後の曲でした。
サラサーテのツィゴイネルワイゼン。
確か永井さんは、「ジプシーのように弾きたい」と呟くようにおっしゃって、ヴァイオリンを構えました。
奔放で荒っぽく、しなやかで美しい。けれど、強く美しいだけではない。
切実な情熱の裏に哀しみや慟哭がこめられているような気がしました。もしかしたらジプシーの歴史のなかに埋もれた、彼らの哀しみや苦難の気配が、こどもの直感にかすったのかもしれません。
音の奔流に捕らえられ、こころが旋律に引きずり回されているような感覚をまだ覚えています。
永井さんのヴァイオリンを聴くのはあの時以来です。今ならバッハやベートーベンも退屈なだけではありません。
そして、ドヴォルザークの「ユーモレスク」が始まりました。ゆったりと自由にすべりだした最初のフレーズ。それがいつの間にか切実に訴えるような調べに変わっていて、私はまたしても、旋律に翻弄されるようなあの感覚のただなかにいたのです。
この旋律がいつまでも続けばいい。
この旋律のように生きていられたらいいのに。
そんなことをどこかで願いながら、走ることもしゃがむこともできずに、嵐の中に立っていました。
ちょうど、「音楽を描く」という試みをこの一年でやってみようと思っているところでした。
音楽を聴いているときに、音や旋律が色や形に置き換わっていくように感じることがあります。それを構成していって一枚の絵にしようというのです。
大学時代にラフマニノフの曲を絵にしたことがありますが、次は何にするかは決まっていませんでした。けれど、あの演奏を聴いて決めました。
あの「ユーモレスク」が、どれほど表現できるかわからないけれど、次に描く音楽はあれしか考えられない。そんな気持ちです。
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