お約束

日本では大掃除を師走に行いますが、キリスト教圏ではイースター(復活祭)に合わせて春に行うようです。

というわけで私もイースターに向けて、……というのは大ウソで、実のところ大みそかに手が回らなかっただけ。しかも、大掃除というよりは「大整理」。不要な物を減らして、こまごました物をきちんと収納し直し、絵を描くための専用スペースを確保し、能率を上げよう。あわよくば洋書に出てくるような美しい部屋に、という一大決心だったのです。

 

でも、勢い込んでいざ始めてみると、これがなかなか終わらない。溜まりに溜まった雑誌の切り抜きをスクラップするだけでくたくたに。「うわ、素敵なおじいさん!」「絵の参考になりそう」「この色いい!」と、すぐ切り抜くので本当にすごい量になるのです。積み上げたら何十cmになるものやら…。

 

切り抜きは気力のある時に少しずつ処理することにして、部屋を片づけ始めることしばし。あることに気がつきました。本が、増えている!!

 

「あなたぐらいしか読まないから」と言われて祖父母宅から連れ帰った本たち。

古書店で出会ってしまった本たち。

新刊書店で購入した本たち。

図書館の除籍図書のリサイクルで見つけ、何とか他のハゲタカ(にしか見えない本のハンター)から守り抜いた本たち。

 

本を本棚だけに収めることが不可能になったとき、私は本を“あまり増やさないようにしよう”と決意したはずでした。まるっきり買わないなんてできないし、頂くこともあるから、一冊も増やさないとは誓えないと考えてのことですが、この“あまり”という表現が甘かったものと思われます。

ああ、気がつけば本のタワーが4棟建設中。今思えば、この一年間だけでも何とたくさんの本たちを私は連れ帰ってきてしまったのか。今は4棟の団地でも、目を離したすきに成長し、気がつけば高層マンション群になっていたりするのではと考えると怖くなります。

 

意を決して、情報の古い本や趣味でない本などを本棚から抜き取り、整理します。少しできたスペースに、別の本棚から選んできた本を入れると―――また本棚はいっぱいになります。床に積まれた本は相変わらずそこに積まれ、何度まばたきしても減りやしません。

 

不毛な整理に疲れたころ、本の整理といえばお約束の愚行が始まります。「こんな本あったっけ?」と本を一冊引き出すと、そのまま読み始めてしまうのです。一章で済むこともあれば、一冊丸々読んでしまうことも。この手の読書は、読んでいる間は楽しいけれど、読み終わったあとに必ず自己嫌悪がついてくるので、始末が悪い部類の読書です。

 

「整理し終わるまで、一冊たりとも読まないぞ!」と気炎を上げて整理を再開するものの、頭の中は本のことでいっぱい。先日読んだスペインのミステリにあった、

 

“その人物が登場する本を読んだことがなくても、誰もが親しみを覚え、知っている気がしてしまうような人物というのがいる。たとえばイギリスなら3人。ホームズとロメオとロビンソンだ。フランスならダルタニャン。スペインならドン・ファンとキホーテだ。”

 

というような下りが、ふっとよぎります。

次にハッと気がついたときには、“日本文学で挙げるとしたら、誰か?”という命題を解くべく、本棚の端から端へ背表紙を辿っていたりするのです。

 

もはや、私の部屋の整理は、ブラウニー(寝ている間に家事をしてくれる妖精)でもいないと終わらない気がしてなりません。