デューラー展

国立西洋美術館で開催中の、デューラー展に行ってきました。オーストラリアはメルボルンの美術館がこんなコレクションを持っていたということにびっくりしました。

 

デューラーは“絵画は宗教に捧げられるべきだ”というようなことを著していますが、なるほど、キリスト教による主題がほとんど。

受難の絵だけで何シリーズもあったりして、飽き飽きしている人もいましたが、わたしの同伴者は、幸いなことに、大学でキリスト教美術の講義を一緒に受けていた友人。

小さな版画を一点一点じっくり見て、主題を確かめたり、聖人たちの名前を当てたりして楽しみました。

 

それにしても、小さなちりとり(!)みたいなものに、AとDを合わせたデューラーの有名なモノグラムが書きこまれ、画面手前に転がっているのがなんともおかしい。サインはあまり目立たないように書き入れるのが一般的ですが、「此れを見よ」と言わんばかりの目立ちぶり。

キリストに模して描かれた自画像からもうかがえますが、自信家として知られるデューラーらしいサインです。もし版画を作る機会があったら、ちりとりみたいなものを手前に転がしてNKのモノグラムでも入れてみようかな。

 

会場では、小さいうえに細い線で描かれた版画を前に、眼鏡をはずしたり、顔を近づけたりしながら、懸命に絵を見ようとしている人もたくさんいました。きっと老眼なのでしょう。

「こんな細かい絵だなんて聞いてない」とぼやいている声もします。

そんな中で、周到にもルーペを持参して細部を確かめているおばあさんの姿が。やるなぁ!と心中で喝采しつつ、わたしも老眼になったらやってやろうと決意。

 

行く前は『メレンコリア』を楽しみにしていたのですが、結局いちばん面白かったのは貴族の家系図が城砦や幻獣とともに描かれた巨大な版画。一人ひとりの名前の他に、肖像と紋章が描かれているのです!にわかに紋章好きの血が騒ぎ出します。紋章となると「胸が高鳴る」なんて恋愛小説のボキャブラリーが嘘と思えなくなってしまいます。(「吊り橋効果」という言葉がありますが、私の場合は吊り橋より紋章の方が有効かも?)

神話の人物につながる家系図、というのは、洋の東西を問わず、まぁお決まりですが、そういう人物にも紋章を当てがっているのも面白いところです。

 

幻獣も大好きなので、紋章と幻獣の2拍子そろったこの版画は、私にとって『猫にまたたび』。グリフォンを見つけて旧友と再会したかのように喜び、セイレーンが鎖で吊り下げられているのに心を痛め、城砦ならどこかにガーゴイルがいたっていいのに!と嘆くわたしに、友人が半ばあきれたような視線をよこします。

ショップに、この版画のポスターが売っているのを期待しましたが、当然そんなものが売っているわけはありません。そもそもこの展覧会は図録だけで、ポストカードさえ売っていなくてみごとに空振り。割と大きな企画展なのに図録しかないとは意外です。

 

油彩はもっと前からですが、デューラーが版画を始めたのは、ちょうど私くらいの年のときだということを、この展覧会を見て初めて知りました。

24歳。中年になってやっと一人前と認識されるような世界にいて、焦ってばかりのこの頃ですが、自分の可能性はまだまだある、いまからだって遅くない、と信じてやっていきたいなと思います。